『蔭涼軒日録』の「南蕃酒」

文正元年八月一日条

琉球国使芥隠西堂(破了)
大軸并南蕃酒小樽忽賞之。其風味与我方(破了)

ということで、南蕃=南蛮=西洋=ワインというのはあまりにも単純すぎる。室町時代の南蛮とは東南アジアのことであり、琉球を介して関係が存在した。東南アジアを介して入ってくる酒のことであり、残りが読めないのでどんな酒だったかは分からないので、ワインの可能性を否定できないが、ワインであるとも言えない。ちなみに筆者の季瓊真蘂は文正の政変で失脚するので『蔭涼軒日録』は九月五日で終わる。

『看聞日記』の「唐酒」

こちらは「カラサケ」ではなく「唐酒」なので酒そのものだろう。永享7(1435)年正月二十八日条。足利義教邸での酒宴。

肴物美麗点心魚鳥唐物等飽満。初三献之時唐酒被出。気味如砂糖其色殊黒。

ということで詳しくは知らないが紹興酒のようなものか。

生体導入

ミクロラスボラハナビ(現在はミクロラスボラ属ではなく、ダニオ属のようだが)とベルベットブルーシュリンプを導入。稚エビが一匹いたので、ミナミヌマエビ水槽に入ってもらった。コケやデトリタスが多くエビにとっては住みよいはず。昨年から餌をやらずに1年間維持してきて現在いるエビは二代目で四匹。一匹抱卵中。

侘び草再始動

懲りずに侘び草。ちなみに前の侘び草はトリミングしたものをコリ水槽に放り込んでおいたら大繁殖して水槽を覆ってしまっているので、保育園で飼育しているザリガニの餌に転用。ザリガニの食用に適さないような、というかいかにもゴミくさいのは捨てている。
で新たなものはこれ。

近衛政家はワインを飲んだのか

キリンのサイトには

古くは1483(文明15)年の『後法興院記』に、関白近衛家の人間が「チンタ」を飲んだという記述がある。このチンタが赤葡萄酒のことといわれている。

という記述がある。ワインと日本人|酒・飲料の歴史|キリン歴史ミュージアム|キリン
手元にある『後法興院記』文明15年をいくら読み返しても「チンタ」など出てこない。「チンタ」はポルトガル語由来らしいが、文明15年、1483年にポルトガル語が日本に伝来している可能性はほぼないだろう。
サントリーも同様の内容を載せている。

この時代に書かれた公家日記「後法興院記」に、「珍蛇(チンタ)」というお酒を飲んだという記述があります。
この「珍蛇」は、スペインやポルトガルから伝わった赤ワインを指すと考えられています

日本ワインの歴史|日本ワイン サントリー
次にこんな記述が酒店のサイトにある。

かなり確かなのは文明15年(1483年)の『後法興院記』に、関白近衛家の人が唐酒を飲んだとあり、「チンタ」になっているから、これはまさしくスペインかポルトガルの赤ワインである。

http://www.sakayaclub.co.jp/urakawa/kabusho/merumaga06.htm
「唐酒」という記述もいくら探してもない。
日付がそもそも書かれていないのでそこからして疑問である。日記を引用する時に普通は日付を書くだろう。
日付を見つけた。四月十六日らしい。http://www2m.biglobe.ne.jp/~shotaro/no29.html
四月十六日条を見る。

禅閤(近衛房嗣)令来給。小童同来。御折二合、カラサケ二百疋等令拝受。

酒が「二百疋」って。
結論を言うとこれは「干鮭」(カラサケ)のこと。
近衛政家がワインを飲んだ、というのはガセだと思う。日付と具体的な記述を原文で示されればもちろん受け入れる。ちなみに底本は平泉澄近衛文麿の協力で完成させた1930年刊本。それを『陽明叢書』でチェックした。

【悲報】

ウィキペディアで俺氏が嘉吉年間に十三湊を没落したと考えている論者とされた模様。俺氏は永享年間に没落し、嘉吉年間に没落したという『新羅之記録』の記述を疑う立場。
追記
4月に直ってました。有難うございます。