2015-01-01から1ヶ月間の記事一覧

著作権法32条

公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない どこにも無断引用はいけない、とない。そ…

対訳『椿葉記』25

其四月に仙洞には宸筆の御八講をこなはる。これは後円融院卅三廻の御仏事にて執行はる。紺紙金泥の法華経、竹園門跡助筆申さる。貞成にも両巻〈第五巻、阿弥陀経〉かゝせらる。後記のためも無官にてはいかゞにて、親王宣下の事を望申。仙洞勅許子細なくて四…

対訳『椿葉記』24

さて同卅年二月院の第二宮、これも俄に御隠あり。此宮は勧修寺中納言養育申て、かの家にわたらせ給。今度の儲君ときこえさせ給つるにいとあさまし。おなじ月に又将軍宰相中将義量〈勝定院息、号長徳院〉逝去せらる。うちつゞき公武の御歎もさこそとおしはか…

対訳『椿葉記』23

襁褓の時より今出川入道左府に養育せられて、多年菊亭に侍き。幼稚のそのかみ、聖護院覚増法親王の弟子に契約して、すでに入室の日次まで定らるゝ処に、不思議の障碍さへ出来してとまりぬ。倩思ふにも、こなたさまの身は、門跡をさへきらはるゝ程の員外の身…

対訳『椿葉記』22

かくて同廿三年十一月廿日親王つゐに薨給ふ。兼より遺書をあそばしをかれて、大光明寺に料所を寄られて、御塔頭をたてゝ大通院と御称号を申べき由申定をかる。さる程に一の宮〈治仁〉、御相続ありしに、いく程もなく次の年二月十二日俄に御隠ありしに、いと…

対訳『椿葉記』21

さて内裏は、御治天卅年政務おぼしめすまゝにておりさせ給ふ。同十九年八月廿九日一の宮〈称光院〉に御位ゆづり申さる。御治世はもとのごとくにて、よろづ目出度わたらせ給。伏見殿には御老病なへなへとまします程に、始終御安堵の事を仙洞へ申さるゝとて、…

対訳『椿葉記』20

いまはもとの御所もなし。御座あるべき所なくて故三位局〈杉殿と申〉里にて宝厳院と申比丘尼所になされたる所を、まづ御所になさる。狭少不思議なる草庵の、かりそめながらいまに御所にてあるなり。萩原殿をば前坊の御子に周高西堂と申人、公方へ所望申され…

対訳『椿葉記』19

さて准后御かくれの年、管領申沙汰して伏見御領を返申さる。此御領は長講堂領なれども、惣御領に混ぜずして伏見殿の御子孫管領あるべきよしを、光厳院殿御置文あり。御名字の地なるうへ、別したる御譲の子細も申披かるゝに付て、御安堵あればめでたくて、次…

対訳『椿葉記』18

世中は火を消たるやうにて、御跡つぎも申をかるゝ旨もなし。此若公にてやとさたありし程に、管領勘解由小路左衛門督入道おしはからひ申て、嫡子大樹相続せらる。其後内大臣までなられて出家せられき。此若公は昇進大納言までなられしに、野心の企やありけん…

対訳『椿葉記』17

准后の若公、梶井門跡へ入室ありしを取返し申され、愛子にて、いとはなやかにもてなされしほどに、此行幸にも舞御覧色々の御あそびどもにさふらはれて、色花にてぞありし。其四月に内裏にて元服して義嗣と名のらる。親王御元服の準拠なるよしきこえし。御兄…

対訳『椿葉記』16

さても准后は北山に山荘を立らる。此所は西園寺の居所にてあるを申受られて、昔常磐井の相国の造営せられしにも猶たちこえて、玉をみがき金をちりばめてつくり立られて、応永十五年三月行幸を申さる。十日ばかり御逗留のあひだ、舞童御覧・三船・和歌・蹴鞠…

対訳『椿葉記』15

かくて二三年は伏見に御座ある程に、同八年七月四日の夜回録しぬ。累代の御記・文書・楽器ども、大略中半過は焼ぬ。あさましとも申計なし。過つる二月には内裏炎上しぬ。ふるき皇居どもうちつゝき焼ぬればいとあさまし。さて此よし准后へ申さるゝほどに、萩…

対訳『椿葉記』14

さて御所をさへあけられて、萩原殿へ移申さる。伏見殿をは准后の山荘になさるべしとて、人もなく、いたづらにをかる。さる程に同六年十一月大内左京大夫入道謀反おこして天下乱たる折ふし、伏見の御所をば返し申されて、其十二月に還御なりぬ。 大内左京大夫…