日共的教育

私は京都府生まれである。1970年代後半に小学生生活を送っている。当時蜷川革新府政の名残で、京都はサヨク的教育が中心であった。当然私もずぶずぶにサヨク教育を受けていて、しっかり洗脳されている。両親もサヨクであった。ただ少し色合いは違って、父親は社会党ファンで、60年安保の時には大学生で、デモに参加していたらしい。まあ三笠宮崇仁親王も参加していたらしいから、別に「安保粉砕」とデモするくらい、別にとりたてて騒ぐほどのこともないかもしれない。母親は共産党ファンであった。しかし党員ではないので、共産党が政権をとる可能性がないので応援している、という風情だが。小学校・中学校・高校と日共の先生に教わった。そのような体験から、世間で言われるサヨク教師像に疑問を感じている。今回はそれについて述べてみたい。
1 日共はエリート主義である。
学力低下日教組の悪しき平等主義のせいである、なんて言う人はいないでしょうね。文部省のゆとり教育のせいです。自分の失策を人のせいにするミセリみたいなことはしないように。いや、日共の先生方の学力重視には苦しめられましたよ、私は。きびしいっすよ、本当に。中にはまじでいるみたいですけどね、悪しき平等主義の教師も。私のいた学校はそうではありませんでした。体育も勉強もきつかったです。もろに優劣を付けられましたから。一生恨みます。
2 日共は管理主義である
だれですか、サヨクは個人の自由を重んじて規律を軽んじている、なんてことを言ってサヨクを宣伝している人は。私の中学時代、厳しかった〜。大体私に言わせれば制服を着せている段階でアウト。しかも靴下の色まで決めるか、ってなもんだ。スカートの長さも厳しかったし。お前ら本当にサヨクか、と言いたいが、そんなもんだ。サヨクに入ってみろ。体育会系のノリだし、集団主義だし。私みたいなヒッキー予備軍にはなじめないですよ。
3 サヨクは愛国である
反日教育とか自虐教育とか、何ですか?という感じ。あれが出てくるのは80年代に入ってからだと思う。「侵略−進出」問題というのがあって、検定がどうのこうの、あれは誤報だとか色々。資料を見る範囲ではいい加減な議論が現在横行しているな、程度。あれがきっかけであることは間違いない。私が小学校を過ごした70年代にはそんなもん関係ない。アメリカの非道な空襲で日本人がいかに苦労したか、ということをひたすら聞かされる。日本軍の残虐行為など教えてもらった記憶はない。「南京大虐殺」はさらりと流す。ひたすら戦時下の苦しい国民生活。特に原爆の写真は見せられる。これが平和教育の中身だ。理由がある。私の両親も私の小学校時代の先生も戦時下に育っているのだ。だから戦争で悲惨な経験をしたから、その経験を次の世代に伝えるのに必死で、自分らよりも上の世代がアジアで何をしていたか、ということには無頓着だったのだ。もし70年代にアジアでの日本軍の残虐行為を学んだ、という方がいらっしゃれば、それはかなり時代を先取りした、進歩的な授業だったのだ。実際60年代末期の学生運動ではアジア人民との連帯が説かれ、日本のアジア侵略の事実を直視しようという動きは存在した。しかし私の親や恩師の世代は60年代末期にはすでに社会に出ており、そういう動きには鈍感だったのだ。私が実際にアジアへの加害行為に意識が行くのは1980年代も後半になってからだ。大学入学まで待たなければならない。
注意事項 
私は落ちこぼれだった。だから学校で学んだことをあまり覚えていない。だから過ちがあるかも知れない。ただ私の印象だ。もう一つ。私は今でもブサヨだ、という自覚はある。だからこれはサヨクに対する告発ではない。
ちなみに私は自虐教育、反日教育って意外と悪くないと思っている。少なくとも行き過ぎた愛国教育を行なって、変なことを主張している若者が多くいるどっかよりもいいんじゃないでしょうか。それともああいう社会になりたいですか?私はいやだなあ、ああいう社会で生きるのは。