2008-11-01から1ヶ月間の記事一覧

地面作り

地面を作るのは中々に難しい。しかし「昭和の鉄道模型をつくる」においてはパウダーをまくだけ。しかし狭い所にパウダーをまくのは面倒くさい。それと「昭和の鉄道模型をつくる」に付いているパウダーだけでは単調になるので、私は他のパウダーも混ぜて使っ…

「新御成敗状」の背景−仁治三年正月−

追加法172から199までは「新御成敗状」という題が付けられた一連の法令である。 出された項目は以下の通り。 「神社仏寺事」 「六斉日殺生事」 「鷹狩事」 「殺害、山賊、海賊、夜討、強盗、窃盗、刃傷、放火、殴人等事」 「年貢所当事」 「官爵事」 …

鎌倉幕府「人身売買禁止法」−追加法178

鎌倉幕府の人身売買禁止法を読むシリーズ。もともと朝廷でも幕府でも人身売買は禁止されていたが、寛喜三年の大飢饉で幕府は人身売買を黙認した。世の中が飢饉の打撃から立ち直り始めた時に幕府は再び禁止に踏み切るのだが、一度始まった人身売買のビジネス…

山の整備

まだやっているのか、というツッコミはさておき、線路にバラストをまいた所で頓挫中。ひさしぶりに手を入れてみた。山に木々を生やす。フォーリッジが上手く付かない。昔から手が不器用でのり付けがうまくいった試しはないが、そのジンクスは健在。手に接着…

鎌倉幕府「人身売買禁止法」−追加法156−

延応二年は七月十六日に仁治と改元される。従って年は同じ1240年だが、七月十六日以降は仁治元年となる。前回検討した追加法142は延応二年五月十二日、今回みる追加法156は仁治元年十二月十六日となるが、いずれも1240年の発布。 追加法156…

鎌倉幕府「人身売買禁止法」を読んでみる−追加法142−

寛喜三年に飢饉を契機として緩和された人身売買禁止だが、飢饉が収束して8年後の延応元年に人身売買の禁止が徹底されることとなった。一年後の延応二年の五月十二日和泉国守護に宛てられた関東御教書。当時の和泉国守護は逸見氏。『日本史総覧』では「逸見…

鎌倉幕府「人身売買禁止法」を読んでみる−追加法115−

ナンバリングは面倒なので講読する追加法の条文を記すことにした。 鎌倉幕府の「人身売買禁止法」。もともと人身売買は禁止されていたが、寛喜三(1231)年の大飢饉で鎌倉幕府は人身売買禁止の規定を緩め、人身売買を黙認した。それから8年が経過した延…

鎌倉幕府「撫民法」との関連で「北条泰時消息」を読んでみる

今のところは『吾妻鏡』延応元(1239)年五月一日条にみられた「撫民」という言葉に関連して、寛喜三年に緩和され、延応元年に再び禁止された人身売買について史料をみているところであるが、撫民法の基本的な柱となる「雑人訴訟法」に関して思いついた…

鎌倉幕府「人身売買禁止法」を読んでみる3−追加法112−

前回のエントリでは『吾妻鏡』延応元(1239)年五月一日条にあった「撫民」という言葉について、同日に実際に出された追加法114をみてみた。そこでは飢饉のために一旦効力を停止した人身売買禁止令を再び発令することが述べられている。その直前に出…

鎌倉幕府「人身売買禁止法」を読んでみる2−追加法114−

前回のエントリでは『吾妻鏡』延応元(1239)年五月一日条を検討し、そこに現れた「撫民」についてみた。『吾妻鏡』では「撫民」のために一時的に人身売買禁止令を緩和し、公認した、という。現在の我々からすれば、およそ倒錯した論理である。人身売買…

鎌倉幕府「人身売買禁止法」を読んでみる1−『吾妻鏡』延応元年五月一日条−

「撫民」という言葉を探して『吾妻鏡』をみてみたら、次の条文(延応元年五月一日条)に行き当たった。 一日庚午。人倫賣買事、向後被停止之。是飢饉比、不諧之族、或沽却妻子所從、或寄其身於冨有之家。爲渡世計。仍以撫民之儀。無其沙汰之處。近年甲乙人面…

鎌倉幕府「撫民法」を読んでみる4−北条政村について−

撫民法の代表的な形が御家人を被告・非御家人の庶民が原告となって、原告勝訴の場合に御家人に判決遵守を求めた雑人訴訟法である。それは延応二年に初めてその姿が見え、建長五年まで数度発布されている。延応二年に発布される前年に鎌倉幕府の最高議決機関…

鎌倉幕府撫民法を読んでみる3

延応二年に撫民法の一つである雑人訴訟に関する法令が初めて出されている。出された前年に新たに評定衆に加わった人物を見ておこう。 北条朝直 北条政村 安達義景 清原満貞 二階堂基行 このうち、清原満貞と二階堂基行は官僚なので、一番問題となるのは北条…

鎌倉幕府撫民法を読んでみる2

ここで言う「撫民法」とは、自力救済−自己責任の原則のもと、強者の「自由」のもとで蹂躙される弱者の保護のための立法をいう。具体的には「雑人訴訟」つまり「雑人」=一般庶民が原告として御家人を訴える事態を想定して法整備を行うこと、あるいは「百姓」…

鎌倉幕府「撫民」法を読んでみる1

『中世法制史料集 第一巻 鎌倉幕府法』(岩波書店)の中の鎌倉幕府追加法の中から鎌倉幕府における「撫民」に関する法を読んでいく。「撫民」とは「民を撫でる」すなわち民生の政策のことである。具体的には追加法293で示された「凡そ少事を以て煩費を致…

阪急810系最末期の編成

書斎ゴミ部屋の書籍の山紙くずの山からカラーブックス『日本の私鉄3阪急』(保育社、1984年7月刊)が出てきた。1985年に810系は全敗されているので、810系の最末期の編成が載っている。 1984年段階では4編成、内訳は今津線用の6両編成…

ミドルネーム考

オバマ次期大統領のミドルネームはわざわざ表記するが、マケイン大統領候補やブッシュ現大統領やクリントン前大統領のミドルネームは記載しない新聞のコラム(「http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/783913/」)*1に触発されて日本人のミドルネームについて…

素朴な疑問

産経新聞の古森義久氏は以下の記事を載せた(「http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/783146/」)。 アメリカ大統領選挙の開票が進み、東部時間で11月4日午後11時半すぎに民主党候補のバラク・フセイン・オバマ上院議員の当選が決まりました。 その時点…

追加法262

鎌倉幕府での「撫民」政策の根幹は裁判の充実である。「自力救済」すなわち自己責任の論理を否定し、弱者にこそ公的な支援を受けられるようにする「撫民」においては、争いを自己責任の論理に委ねないために公的権力の介入を強めた。 追加法269では「百姓…

田母神前空幕長の論文に関する雑感

APAホテル主催の懸賞だったようで、APAホテルはナゴヤドームに言った時に泊まったな。元谷氏の著作が置いてあって、佐藤優氏との対談があった。それだけ。その日は阪神勝ったので印象はよい(笑)。

年金問題

私の消えた年金5年分。どうも学生の加入が義務化される以前のものがばっさり切られていたようだ。やはり7ヶ月分消えていた家族のものが問い合わせに行ったら「お宅が払ったと思い込んでいるだけと違いますか」と逆ギレされたようで、かなり状況は深刻。横…

論文の書き方

最低限章節立てをしない論文は普通の大学ならばアウトであることを言っておかないと、章節立てをしない論文でもいいや、と思って出す学生が続出すると困るので一言。書式の引用もきちんとしないと論文としての態をなさないので注意。 ちなみに学期末とかに提…

追加法268

建長二年三月五日の評定で出された法令。全3条。一条目は寄沙汰の禁止、二条目は山門僧徒つまり延暦寺の僧兵の寄沙汰禁止、三条目が今回みる悪党問題。 本文 一 大和国悪党等事 此事先日仰六波羅、雖申入一乗院大乗院、不事行云々。於自今以後者、差遣武士…