2009-06-01から1ヶ月間の記事一覧

我が九条(その8) 九条房実

鎌倉時代末期の九条流当主。関白在任が短いが、まあ順調な人生を送ったのではないか。 九条房実(父:九条師教、母:藤原有時女) 正応3(1295). 生(1) 正安01(1299).12.19.従五位上、禁色昇殿元服(10) 正安01(1299).12.30.侍従 正安02(1300).01.05.従四…

隠蔽することと触れないこと−文永の役と吉田経長の幕府批判−

鎌倉時代における「虐殺」といえば、壱岐・対馬の虐殺であろう。元・高麗連合軍が対馬・壱岐の守備部隊を殲滅して博多に来襲した「文永の役」「弘安の役」のなかで起こった、と想定されている事件である。実際はそれを裏付ける客観的な史料は存在しない。し…

金沢貞将は誰を威圧したのか、再論

一応かつて触れた話(「2008-09-07 - 我が九条」「2008-09-08 - 我が九条」)の蒸し返し。 金沢貞将(かねざわさだゆき)は鎌倉幕府15代執権金沢貞顕の嫡子。評定衆、三番引付頭人を経て1324年、正中の変の動揺さめやらぬ京都に六波羅探題南方として着…

5阪神–日ハム10

誕生日なので阪神も勝ってくれるかな、と自分勝手な期待。 先発投手は下柳剛投手。前の登板も中五日でめった打ち。いやな予感。 案の定炎上。3回でノックアウト。 二番手渡部亮投手。一回はいい投球。しかし二回目に入ると粘られて出塁を許す。 三番手江草…

「元寇」は北条軍の侵略に対する自衛戦争(笑)

もちろんネタ。まじでこれを主張する人がいたらまじで心配(笑)。陰謀脳全開、電波ゆんゆん、反日工作員、何とでもレッテル貼り放題。というかボーガスネタか。 「元寇」というのはもちろん元・高麗連合軍が九州地方に襲来したいわゆる「文永の役」「弘安の…

「とりあえず『鎌倉幕府はなかった』と『いいくに作ろう』はないよね」(笑)

「いいくに(1192)つくろう鎌倉幕府」の原型である1192年説の現状について。とりあえず大学における歴史知識の前提となるのが『詳説日本史』及び『詳説日本史研究』(いずれも山川出版)。「頼朝が将軍に就任(在位1192〜1199)し、ここに…

「鎌倉幕府否定論」のバリエーション(笑)

鎌倉幕府がいつ開かれたのか、ということについては関心がない人がわざわざ「鎌倉幕府論には関心を持てない」と言ってくる事例はあまりない、と思う。一定の歴史事件になると誰もコミットメントを求めていないのにわざわざ「関心がない」とブクマをしてくる…

「史料が原文で見たいところ」というリクエスト

鎌倉幕府の史料を原文で見たいところ、という現実にはありもしないリクエストに無理やり答える形で、鎌倉幕府側の史料を原文で紹介する。今までも取り扱ってきたが、今までの史料に比べていろいろ言及できる史料を出してみる。原文の史料を読むために必要な…

鎌倉幕府を鎌倉幕府たらしめている「差分」とは何か

鎌倉幕府に関する統一された定義は存在しない。なぜなら鎌倉幕府とは、源頼朝を中心に彼をとりまく様々な人々の営みの複合体だからである。 だからといって「鎌倉幕府は存在しない」という人はいない。 「鎌倉幕府」という言葉は源頼朝が生きた時代はもちろ…

鎌倉幕府はいつ開かれたのか、ダイジェスト

鎌倉幕府はいつ開かれたのか、という問いは「鎌倉幕府とは何か」という問いである。この話のネタ元はこちら(「言葉の意味が文脈によって変わることは常識なのに - 法華狼の日記」)。 これをパクらせていただく。 「鎌倉幕府」とは、源頼朝によって南関東に…

勝海舟の行政改革論

ぱらぱらと勝海舟の「氷川清話」をめくっていると面白い記述をみつけたのでメモ。 行政改革といふことは、よく気をつけないと弱いものいぢめになるよ。おれの知つてる小役人の中にも、これ迄随分とひどい目に遭ったものもある。全体、改革といふことは、公常…

鎌倉幕府はいつ開かれたのか

「鎌倉幕府がいつ開かれたのか」という問いに対する歴史学研究者の見解は一つではない。1180年から1192年まで12年間の幅がある。これは鎌倉幕府が開かれたことに関する史料が足りないから想像で言っている訳ではない。「鎌倉幕府がいつ開かれたの…