2008-01-01から1年間の記事一覧

鎌倉幕府「人身売買禁止法」追加法304

人身売買で不当に得た利益の処分について。 一 人身売買銭事、被寄進大仏畢。而自国々運上之事、有其煩之由、小聖申之。然者為地頭之沙汰、可送進之由、可令下知給之旨候也。仍執達如件。 読み下し。 一 人身売買の銭の事、大仏に寄進せられおわんぬ。しかる…

鎌倉幕府「人身売買禁止法」追加法299

久しぶりに鎌倉幕府「人身売買禁止法」について。寛喜の大飢饉の時に鎌倉幕府は朝廷の方針とは異なり、人身売買禁止を緩和した。それを延徳元年に再び禁止した。その後も混乱は続き、幕府は人身売買の禁止を徹底せざるを得ないことになった。 本文 一 人質事…

『看聞日記』永享3年7月10日条

飢饉関係の史料で目についたものを。 『看聞日記』は後花園天皇の父の伏見宮貞成親王の日記。『看聞御記』とも。 まずは本文。 十日。朝雨下。(中略)抑去月以来洛中辺土飢饉及餓死。是米商人所行之由露顕之間、去五日米商人張本六人侍所召捕糺明。被書湯起…

『碧山日録』寛正二年二月三十日条

住居を失うことは、基本的な生存条件を奪われることである。寛正の大飢饉の原因の一つは河内から大量の流民が京都に流れ込んできたことにある。京都は「有徳」の者の集まるところであり、そこにいけば何らかの「徳」が期待できるからである。実際最大の「有…

『碧山日録』寛正二年二月六日条

引き続き『碧山日録』。寛正の大飢饉に際しての室町幕府の対応をみてみる。 本文 六日、丁丑、流民之茇舎成矣、願阿命其徒、病民之不能起、俾竹輿乗之、其群聚、不可勝紀也、先烹粟粥食之、蓋飢者喫飯則倒死、故勧粥也、此賑済、以是月為限云。 読み下し 六…

『碧山日録』寛正2(1461)年2月2日条

少し気分転換に『碧山日録』を読んでみたい。まあ人身売買問題が「質権」と「抵当権」の違い、というよくわからん話に入ってしまって、困っている、というのがある。 『碧山日録』は東福寺霊隠軒主太極(諱不詳)の日記。太極は別名を雲泉ともいうので、一般…

ディスカスの調子悪い

コバルトターコイズの調子がかなり悪そう。真っ黒になって漂っている。悔やまれるのは忙しくてきちんとみてやっていないこと。昨日は変わりなく餌をねだって、よく食べていた。今朝は・・・、特に印象がない。帰ってきて水換えをしたが、その時どうだったか…

知里幸恵の「日誌帳」

藤本英夫氏の著作『知里幸恵 十七歳のウエペケレ』(草風館、2002年)において「資料」として知里幸恵の『日誌帳』を公開している。知里幸恵のメモのようなものなのでかなり読みづらいのだが、知里幸恵がその若い生涯を終える直前に書き記した文章がある…

未公開のテクストに基づく批評は引用者の恣意性をあらわにするだけ

『アイヌ神謡集』の編者として知られる知里幸恵は次のような詩を書き表している。 神は私に 病を与え給ふた。 何故々々 神は私に 斯様なものを 与え給ふのか。 私の知らぬまに。 私は黙って黙って それを受け入れてゐるより しかたがないのです。 月の夜 秋…

松田聖子に懐かしさを感じる

「昭和の鉄道模型をつくる」がターゲットにしたのはおそらく団塊の世代だろう。2007年7月に始まったこのシリーズが2007年3月に定年退職を迎えた人を衆としてターゲットにしたことは十分想像し得る。だからであろう、時代設定が昭和30年代、とい…

鎌倉幕府「人身売買禁止法」追加法242

鎌倉幕府「人身売買禁止法」。追加法242から244までは寛元三(1245)年二月十六日に出された一連の法令。執権は北条経時。連署は空席なので、年若き執権を補佐するのは評定衆のトップに名前を連ねる北条政村を筆頭に外戚の安達義景、経時の父時氏…

鎌倉幕府「人身売買禁止法」追加法244

これもやっつけ仕事でとりあえず片づける。 本文 一 人倫売買直物事 於御制以前事者、本主可被糺返。至御制以後沽却者、不可糺返直物。本主分直物者、可被付祇園清水寺橋用途。又於其身者、不可返給本主。可被放免也。 読み下し 一 人倫売買直物の事 A 御制…

鎌倉幕府「人身売買禁止法」追加法243

明日からしばらくネットにアクセスできなくなるので(毎週のことだが)、今のうちにやっつけ仕事でやってしまえ、という発想。幸いにしてこの法令は岩波思想体系の『中世政治社会思想』に載っているので、読み下しの作成には手間がかからない。難しい言葉も…

レイアウトに人形を配置してみた。漫然と配置するのではなく、ミニシーンを作ってそこに物語をもたせてみた。もともとそういう芸術的な才能はかけらほどもないので、何ともわからないが、ともあれ作業自体は楽しくなる。 まずは公園。ホームレスとなった中学…

一応完成

一応完成。あとは細かいところを充実させてゆく。ここからが実は難しい。「レイアウトに完成なし」という箴言があるが、人形を配置したり、細かいアクセサリーを加えたりすることで、より実感的になってゆく。今のところ叡山電鉄デオ300が走っている。バ…

麻生太郎総理が買った本

麻生太郎総理が本を買ったらしい。 麻生太郎首相は30日夜、東京・八重洲の「八重洲ブックセンター」を訪れ、「大暴落1929」(ガルブレイス著)など経済、政治関係の書籍4冊を購入した。このほか首相が選んだのは「強い日本への発想」(日下公人・竹村…

鎌倉幕府法としての大友氏の法

前回と前々回取り上げた「幕府法」の主体が大友氏であり、それゆえ前回と前々回のエントリにおいて「無意味になった記述」はどこかを示しておこう。大友氏の法令だとは言っても大友氏の家法ではない。豊後の守護であったが、この時の当主大友頼泰が豊後に下…

鎌倉幕府「撫民法」を読む−追加法217

鎌倉幕府の「撫民法」と呼ばれる一群の法令を読んでいる一連のエントリ。この一連のエントリにおける「撫民法」とは百姓が原告となって地頭を訴えることができるように訴訟手続きを整えることを指す。 これは「追加」と題され、「寛元二年十月九日記之。同四…

地面作り

地面を作るのは中々に難しい。しかし「昭和の鉄道模型をつくる」においてはパウダーをまくだけ。しかし狭い所にパウダーをまくのは面倒くさい。それと「昭和の鉄道模型をつくる」に付いているパウダーだけでは単調になるので、私は他のパウダーも混ぜて使っ…

「新御成敗状」の背景−仁治三年正月−

追加法172から199までは「新御成敗状」という題が付けられた一連の法令である。 出された項目は以下の通り。 「神社仏寺事」 「六斉日殺生事」 「鷹狩事」 「殺害、山賊、海賊、夜討、強盗、窃盗、刃傷、放火、殴人等事」 「年貢所当事」 「官爵事」 …

鎌倉幕府「人身売買禁止法」−追加法178

鎌倉幕府の人身売買禁止法を読むシリーズ。もともと朝廷でも幕府でも人身売買は禁止されていたが、寛喜三年の大飢饉で幕府は人身売買を黙認した。世の中が飢饉の打撃から立ち直り始めた時に幕府は再び禁止に踏み切るのだが、一度始まった人身売買のビジネス…

山の整備

まだやっているのか、というツッコミはさておき、線路にバラストをまいた所で頓挫中。ひさしぶりに手を入れてみた。山に木々を生やす。フォーリッジが上手く付かない。昔から手が不器用でのり付けがうまくいった試しはないが、そのジンクスは健在。手に接着…

鎌倉幕府「人身売買禁止法」−追加法156−

延応二年は七月十六日に仁治と改元される。従って年は同じ1240年だが、七月十六日以降は仁治元年となる。前回検討した追加法142は延応二年五月十二日、今回みる追加法156は仁治元年十二月十六日となるが、いずれも1240年の発布。 追加法156…

鎌倉幕府「人身売買禁止法」を読んでみる−追加法142−

寛喜三年に飢饉を契機として緩和された人身売買禁止だが、飢饉が収束して8年後の延応元年に人身売買の禁止が徹底されることとなった。一年後の延応二年の五月十二日和泉国守護に宛てられた関東御教書。当時の和泉国守護は逸見氏。『日本史総覧』では「逸見…

鎌倉幕府「人身売買禁止法」を読んでみる−追加法115−

ナンバリングは面倒なので講読する追加法の条文を記すことにした。 鎌倉幕府の「人身売買禁止法」。もともと人身売買は禁止されていたが、寛喜三(1231)年の大飢饉で鎌倉幕府は人身売買禁止の規定を緩め、人身売買を黙認した。それから8年が経過した延…

鎌倉幕府「撫民法」との関連で「北条泰時消息」を読んでみる

今のところは『吾妻鏡』延応元(1239)年五月一日条にみられた「撫民」という言葉に関連して、寛喜三年に緩和され、延応元年に再び禁止された人身売買について史料をみているところであるが、撫民法の基本的な柱となる「雑人訴訟法」に関して思いついた…

鎌倉幕府「人身売買禁止法」を読んでみる3−追加法112−

前回のエントリでは『吾妻鏡』延応元(1239)年五月一日条にあった「撫民」という言葉について、同日に実際に出された追加法114をみてみた。そこでは飢饉のために一旦効力を停止した人身売買禁止令を再び発令することが述べられている。その直前に出…

鎌倉幕府「人身売買禁止法」を読んでみる2−追加法114−

前回のエントリでは『吾妻鏡』延応元(1239)年五月一日条を検討し、そこに現れた「撫民」についてみた。『吾妻鏡』では「撫民」のために一時的に人身売買禁止令を緩和し、公認した、という。現在の我々からすれば、およそ倒錯した論理である。人身売買…

鎌倉幕府「人身売買禁止法」を読んでみる1−『吾妻鏡』延応元年五月一日条−

「撫民」という言葉を探して『吾妻鏡』をみてみたら、次の条文(延応元年五月一日条)に行き当たった。 一日庚午。人倫賣買事、向後被停止之。是飢饉比、不諧之族、或沽却妻子所從、或寄其身於冨有之家。爲渡世計。仍以撫民之儀。無其沙汰之處。近年甲乙人面…

鎌倉幕府「撫民法」を読んでみる4−北条政村について−

撫民法の代表的な形が御家人を被告・非御家人の庶民が原告となって、原告勝訴の場合に御家人に判決遵守を求めた雑人訴訟法である。それは延応二年に初めてその姿が見え、建長五年まで数度発布されている。延応二年に発布される前年に鎌倉幕府の最高議決機関…