2008-08-01から1ヶ月間の記事一覧

鎌倉時代の「陸奥守」北条宣時

北条宣時は大佛流北条朝直の子。大佛流は北条氏の中でももっとも傍流で、本来家格は最も低かった。時政の子の時房を祖とする家系で、義時の子孫よりも一段格下に置かれていたのである。しかし朝直は評定衆に上り、兄の佐介流北条時盛を抑えて時房流の嫡流の…

鎌倉時代の「陸奥守」北条業時

北条業時は極楽寺流北条重時の子。1241年に生まれ、1259年、19歳で弾正少弼を振り出しに左馬権頭、引付衆を経て1276年、36歳で評定衆、1277年には越後守、三番引付頭人、駿河守に転じ、1281年一番引付頭人になり、1283年長らく…

鎌倉時代の「陸奥守」安達泰盛

北条時村が陸奥守から武蔵守に転じた後に陸奥守になったのは、安達泰盛である。安達泰盛は安達義景の子で、叔母の松下禅尼が北条時氏に嫁いで四代執権北条経時と五代執権北条時頼を産んでいる。泰盛自身は北条重時の娘を娶っており、時頼もまた重時の娘を正…

甲子園観戦記

甲子園に二日連続で行ってきた。 28日が中日戦。一塁側アイビーシート。かなり上のほう。銀傘があるので雨が降っても大丈夫。実際天気もよくなかったが、銀傘の下は問題なし。試合の方は両チームとも先発がぴりっとせず、長いゲームに。点を取ったら取り返…

鎌倉時代の「陸奥守」北条時村

北条時村は北条政村の子として1242年に生まれる。21歳で左近将監を振り出しに、引付衆を経て評定衆入りしている。引付衆を経ずに六波羅探題などの要職に就く重時の子孫に比べると少し扱いが劣るのは、政村の子孫だからであろう。 1271年に北条時茂…

鎌倉時代の「陸奥守」北条時茂

北条時茂は北条重時の子で、兄弟に6代執権長時、連署義政、業時がいる。彼の子孫は常葉家と呼ばれ、六波羅探題北方を多く出す家柄である。 時茂は1256年、16歳で六波羅探題北方に就任。兄の長時が執権に就任するために鎌倉に帰ったのと交替である。重…

鎌倉時代の「陸奥守」北条政村

北条政村は北条義時の子で、伊賀の方の腹。同腹に金沢実泰がいる。伊賀の方が伊賀氏の乱で追放された時に、泰時は伊賀の方の子どもである政村と実泰をかばったが、実泰は精神的圧迫から出家し、実時に跡を継がせ、出家隠遁する。一方、政村は和歌に耽溺する…

アフガニスタンについて

2001年の記事。 http://www.nikkeibp.co.jp/archives/150/150174.html kojitaken氏経由。原点となる2001年の中村哲医師の記事 - kojitakenの日記

鎌倉時代の「陸奥守」北条重時

鎌倉時代の「陸奥守」の内、北条氏とそれに準ずる安達泰盛の官途を検討する。 まずは北条重時。重時は北条義時の子で、泰時の弟。泰時の後の六波羅探題北方を務め、時頼政権では連署に就任、時頼を支える。重時は23歳の時に修理権亮に任ぜられるのがスター…

大佛貞直文書一覧

一応鎌倉時代最後の「陸奥守」大佛貞直の文書一覧。 ・文保元年(1317)12月15日「大佛貞直書状」(『鎌倉遺文』26468号) ・文保2年(1318)3月12日「大佛貞直書状」(『鎌倉遺文』26583号) ・元亨3年(1323)7月5日「六…

(∩゚д゚)アーアーきこえなーい

阪神タイガースがからむとアホになります。ナショナリストにも嫌韓流にもなります。 星野仙一監督が短期決戦に向いていないのは、阪神ファンの間ではかなり共有できる評価だと思う。継投が遅い。情に流される。 今回の問題についていろいろ言われている。チ…

大佛流北条氏概論

大佛(おさらぎ)流北条氏は北条義時の弟北条時房に始まる時房流北条氏の一つである。以下細川重男氏の『鎌倉政権得宗専制論』に従って述べていく。 時房には多くの士女がおり、そのうち要職に就任するのは時盛の子孫の佐介家、資時流、時村流、朝直の子孫の…

鎌倉時代の「陸奥守」2

鎌倉時代における「陸奥守」の性質を三段階に分けると次のようになる。 第一期 大江広元や北条義時、足利義氏、足利泰氏のように御家人序列一位に与えられる。 第二期 北条重時、北条政村、北条業時、北条宣時のように連署もしくは北条時茂、安達泰盛のよう…

日本終戦

私は阪神タイガースがからむとアホになります。星野仙一監督は阪神関係者なので私はもちろんアホになります。 星野采配はリーグ戦とかで意味がある。岩瀬仁紀投手へのこだわり、G.G.佐藤外野手へのこだわり。いずれもリーグ戦では必要な戦力だから、一度…

研究者嫌い

研究者、就中人文系の研究者は変わり者が多い。人文系の研究者のはしくれである私が言うのだから間違いがない(笑)。そして問題は自分が変わり者である、ということに無自覚な人らが多い。だから嫌われる理由も分からないでもない。 ただ始末の悪い「研究者…

「だからどうした?」の続き

実際ある史実を明らかにしただけでは、あまり意味がない。「事実」そのものには意味がないからだ。その「事実」に意味を附与して初めて「歴史学」の研究となり得る。私の場合、鎌倉幕府論に関しては素人の域を出ない。従って「陸奥守」を検出した所で、その…

鎌倉時代の「陸奥守」

調べてみた。細川重男氏の『鎌倉政権得宗専制論』(吉川弘文館、1999年)の巻末の「鎌倉政権上級職員表」をもとに書き出したら、ウィキペディアにも載せられていたOTL。 一応年代別に挙げておく。 人名 在任期間 在任中の役職 最終役職大江広元 1216…

対韓国戦

阪神タイガースがからむときアホになります。ナショナリストにも嫌韓流にもなります。 私の周りの「反日サヨク」にも結構多い。私はタイガースがらみだけだが、オリンピックとかワールドカップとか、結構ナショナリストになる。 韓国戦、打てなさすぎ、の一…

大阪市交通局堺筋線66系の話題

今日は富田駅で人身事故。そのせいでダイヤが乱れる。6330Fが快速急行で運用されているし、淡路駅では天下茶屋発茨木市行きの準急が堺筋線用の66系で運用されていた。普段優等列車に入ることのない大阪市交通局車両が準急運用に入るのは珍しい。方向…

皇太子

自分に都合の悪いものは全て「ネット右翼」に押し付けるのはどうか、と思う。皇太子を擁護するのはネット右翼だ、というのは初耳だ。私は「ストップ・ザ・コイズミ」をやってた人が皇太子バッシングに協調したのか、と思った。 追記 大阪の某番組で皇太子擁…

陸奥守

ここのところ仕事が詰まっていてゆっくりする暇はない。『鎌倉遺文』を繙く暇もない。トリアージとホロコーストはもう追っかけられない。かなりギンギンの議論がなされている模様。当事者にとって実りのある議論になりますように。 私は誰からも相手にされな…

近鉄800系

通販でゲット。小学生の頃、京都線で見たことがある。10100系とはいいコンビ。小学5年の時に平城宮あとにクラス遠足で行った事がある。その時に世との父親が歴史学研究者で、平城宮の説明をしてくださったのだが、私は平城宮の向こうを走る近鉄に夢中…

対中国戦

日本と中国の力量差は歴然としている。勝って当たり前、コールドも当然、というのは少し野球に興味があれば容易に分かる話。しかしヤフーのみんなの感想になると話は違う。「日本の力を思いしったか」とか「中国弱過ぎm9(^Д^)プギャー」とかいうようなア…

今回の問題について

今のところ一番新しい、まとまったまとめであるApemanさんのこれ(「いまや真の賭け金が何であるかは明白となりました - Apeman’s diary」)。 もはや「追記」でお茶を濁す問題でもなさそうだが、かと言って私がこの問題について能動的に何か言えるほど、経…

徳政令関係史料 文永十年(1273年)7月12日「関東評定事書」『新編追加』(『鎌倉遺文』11362号)

フビライからの使者を退けた日本に元が来襲する可能性は高まっていた。そういう中で文永9年には北条時宗は名越時章と名越教時を謀殺し、さらに六波羅探題北方の北条義宗に命じて南方の北条時輔を討たせる。評定衆の筆頭であった時章の保持していた筑後・肥…

異分野の学部で一般教養を担当する

昨日id:Sokalian氏のブログのコメント欄でSokalian氏と対話していて思いついたこと。氏はfuku33氏の講義には問題はなかった、と考え、私はfuku33氏の自己批判に言及したのだが、Sokalian氏と対話して氏から触発されることがあった。 福祉系の学生に福祉の考…

北条時輔関係史料  文永4年(1267)12月26日「関東評定事書」『新編追加』(『鎌倉遺文』9838号)

二時間かけて書いたエントリが吹っ飛んだ。もちろん日記のバックアップ機能をオンにしていなかった私のあたまがわるい。気を取り直してもう一度と思うが、気力が尽きた。散髪行こう。 散髪に行って気分転換。で「『通りすがり』に根拠なくDISられたら勝ち」…

永仁の徳政令 永仁五年(一二九七)三月六日関東事書・同年七月二十二日関東御教書

永仁の徳政令の存在が今日に伝わるのは『東寺百合文書』京函所収の次の文書によってである。 一、可停止越訴事、 右、越訴之道遂(逐)年加増、奇(棄)置之輩多疲濫訴、得理之仁、猶難安堵。諸人佗傺職而此由。自今以後可停止之。但逢評議而未断事者、本奉…

「自省と内省が必要」か悩んでいます

ところでid:BigHopeClasicさんのブコメ(「はてなブックマーク - Wallerstein氏への謝罪と補足 - 吾輩は馬鹿である」)について少し分からないところがあるので質問していいでしょうか。ブコメは百字という制約あり、かなり省略されているので文脈が分かりづ…

HALTAN氏への返答

HALTAN氏にははっきり言って私自身はご迷惑をおかけした、と思っているので、私からHALTAN氏に対して何かの議論を売るつもりは当面ないのだが、せっかくHALTAN氏が勉強の機会を与えてくださったので、HALTAN氏のご厚意に甘えてHALTAN氏の出された課題に少し…