2011-11-01から1ヶ月間の記事一覧

家永遵嗣氏の安藤氏論

家永遵嗣「一五世紀の室町幕府と日本列島の辺境」(二〇〇七年)を入手した。さるシンポジウムの時にご教示いただいたものだ。 そこでは安藤氏に関して、その取次を細川持之とする見解が出されていて、畠山満家を取次とする私見とは異なる。ただ氏の論拠には…

下国慶季 下国氏系譜を松前藩に売り渡した男

もちろんベン・マッキンタイアー『エリーザベト・ニーチェ──ニーチェをナチに売り渡した女』のパクリ。 『新羅之記録』は下国氏の系図類と非常に相関関係が強い。平川新氏によれば安日から政季までの記述は下国氏の史料が使われた可能性が高い、という。また…

下国由季・下国慶季について

下国重季の跡を継ぐはずだったが早世した、と伝えられる下国由季。下国直季と蠣崎季広の十女との間に生まれた、と伝えられる。由季はいつ死んだか不明だが、1594年に死去した、という説もあるらしい。しかし下国由季の室が蠣崎守広の娘という時点で、そ…

下国直季と下国重季の関係について

茂別下国氏の考察をしている。鎌倉時代以来「蝦夷管領」(厳密には「蝦夷の沙汰」地頭代官職)として北海道の「沙汰」を任されてきた津軽安藤氏の末裔の茂別下国氏がなぜ蠣崎氏の家老となったのか、という下剋上の問題を考えている。 茂別下国氏の始祖は下国…

茂別下国氏の系譜関係の考察

茂別下国氏の系譜に関する一連の考察。もちろんこの系譜もいわば「作られた」系譜であり、同じく安東氏の流れを引く三春藩秋田家とのやりとりの末に形成されてきたものである。 初代家政、没年月日は不明。1501年説がある。兄の下国政季が1434年か1…

茂別下国師季について

系譜によると師季は茂別下国氏の初代下国家政の孫。家政の子で「宅季」とか「家季」となっている人物は早世して、家政の孫が家政を嗣いでいる。家政の死去の年月は不明(「松前国下国氏系譜」いわゆる「松前下国氏大系図」家政項目には「下国家政卒年月葬地…

矢不来館陥落の時期

系図では「茂蔑矢不来館」陥落の時期は「永禄五年(一五六三年)」とあるのだが、矢不来館は考古学的には十六世紀の初頭には廃絶しているらしい。焼け跡があるので、何らかの攻撃を受けて没落しているらしい。となるとやはり「永正五年(一五〇八年)」陥落…

『能代市史』資料編中世1・2

『新羅之記録』が収録されている、ということで買った。1・2合わせて8000円。安い、ということで速攻入手。 『満済准后日記』もあった。訳がついているのはありがたいが、めちゃくちゃ。榎森氏の訳と同じミスをしている。榎森氏も協力者として名前を連…

南部義政と下国盛季の霊界大合戦

嘉吉三年(一四四三年)、通説によると南部義政の攻撃によって下国盛季が十三湊から没落したという。 「南部家系図」を見てみた。 義政 初行政 庄司 大膳大夫 遠江守 母は信光が女。 永享十一年普広院義教、足利持氏を追伐のとき、大手口をやぶりしにより、…

MacBookPROのキーボード

娘に壊されたOTL キーボードをひたすら手でいじっていると思ったら、キートップを一つ外した。そんな簡単に外れるとは思えないが、とりあえず力が強いので、無理矢理はがしてしまった。やりにくい。

南部氏と斯波氏

八戸南部家に関わる文書を読んでいて、はたと困った事態が出てきた。入間田宣夫氏と私の解釈が違うのだ。まあそれならば別にいい。普通に考えれば入間田氏が正しくて、私が間違えている蓋然性が極めて高いからだ。しかし私の解釈が『青森県史』と一致したと…