ハロプロ

私はハロプロを知らない。モー娘。は今や誰も知らない。安倍なつみ後浦なつみのうちごまきとあややではない人ね、位。そんな私がハロプロネタに言及するのはなぜか。今、キーワードをめぐって座視できない議論があるからである。
「おけいさんと安倍なつみ」というキーワード。削除するかどうかでもめている。これがなぜゆるがせにできないのか。それははてなキーワード全体の存在形態にまでおよぶ議論だからである。
議論の発端を紹介すると、「おけいさんと安倍なつみ」というキーワードは「おけいさんと安倍なつみ(モーニング娘。)」というキーワードの異表記であり、したがって「おけいさんと安倍なつみ」を削除しよう、という人が現われたのだ。そこに削除反対意見が出てきた。
この削除論者と反対論者が全く咬み合わないのは、両者の思想が全く違うからだ。削除論者は論及件数で決めようという。アクセス数が少ないので削除しよう、ということなのだ。その背景には使命感がある。一方反対論者はキーワード自体の削除は理解できるものの、その手続きが強引だ、と反発し、削除論者はそういう反対論者を「幼稚」という。
分かりにくい人は、小泉純一郎総理大臣と反対論者の議論を想起していただければわかりやすいだろう。小泉総理は「実行力」を押し出し、反対派は「手続」を主張する。
で、私の見解だが、ハロプロがどうなろうと関係ない。しかし阪神タイガースネタやら、私の趣味関連のキーワードでそのような「おせっかい」が現われたら、私は全力を挙げて反対する。なぜならば、それははてなキーワードそのもののシステムを揺るがす問題だからである。つまり一人の使命感に駆られた人物が「正義」の名の元に自分の意見を押し通すということ自体がそのシステム崩壊の蟻の一穴になるからである。
この議論の問題点は削除論者の次の一言に集約されるだろう。「「個々の思い入れ」を押し殺し「客観的な判断基準」で物事を判断することは可能ですね。それが社会人というものです。」しかし削除したい、というその「使命感」それこそが「個々の思い入れ」であることを本人は自覚していない。自覚せざる「正義の人」に対して「はてな」みたいな「個々の思い入れ」の集積というシステムは脆弱である。「正義の人」の独裁になりかねないところがある。それだけに「民主主義」という「手続き」が必要なのだ。
で、さらに思うのだが、管理者でもない人が管理者気取りでその「場」を引き回すこと自体が問題なのだ。はてなシステムは管理が緩く、アバウトなシステムになっているだけに様々な議論が出てくる余地がある。それを過剰な使命感でもって引き回そうという行為自体が、その「場」をぶちこわすのだ。