引用する責任

大学生だったときに研究会で報告した時のこと。私は自分の主張を援用するために論文を引用した。討論で質問が出た。「君のこの議論、これはおかしくないか」と。私は浅はかにも「○○氏がこういうデータを出していて・・・」ということを言えば、「それはおかしい。だって君はこの人の意見が正しいと思ったから引用しているんだろ?それだったらそれを説明する責任は君にある」と言われた。言論をする、というのはそれなりの重みが必要だな、と思い知らされたな。
しかし悪い癖はなかなか直らない。安直に引用する癖がついていたようで、修論の審査の時にも主査につっこまれた。「君は××氏の研究を引用しているけど、なぜ必要なんだ?」と。そして××氏のその研究を批判された。引用された論文の瑕疵を私が弁護しなければならない、というのは理不尽だと思ったが、もちろんこれは私の繰り言でしかない。引用する、ということは、それだけの責任を伴うのである。それができないのであれば、引用などするべきではない。
悪い癖はまだ続く。今までは一応非公開のものだったので、まだましだったが、公刊論文でもやっちゃった。△△氏と□□氏が使っていた史料の信頼性をあまり疑わずに通り一遍の検討だけで論拠にして論文を執筆したら、私と△△氏と□□氏まとめてぶった切られた。△△氏と□□氏を恨んだが、もちろん私が悪いのはいうまでもない。言い訳をすると朝鮮史料なので、そこまで詳しくは見ていなかったのね。あんなところに関連史料があるなんて思いもしなかった。△△氏と□□氏は結構高名な研究者だったので、そういう研究者と並べて斬られたのはある意味光栄だったのだが、やはり安直な引用はいかんな、と思い知った。
教訓。ちょっとまて。その引用大丈夫?恥かくのはあなたです!はいOTL