ものを論ずる姿勢

「2000人の根拠」ということでいろいろ考えてきて、私自身を顧みることが出来た。まず何よりも自分自身の姿勢を見つめ直すことが必要である。というわけで備忘録として。
まずは朝日新聞の記事より。
菊池教授の紙上特別講義より「ニセ科学」。
人はなぜニセ科学にだまされるか、という問いに対し、大阪大学菊池誠氏は次の四点を挙げる。

1 インターネットや科学を装ったテレビ番組の影響。
2 しつけや道徳との親和性の高さ。
3 相関関係と因果関係の混同。
4 思考のプロセスを重視しない風潮。

「科学を装ったテレビ番組の影響」は言うまでもない。「あるある」問題を差し引いても、昔からテレビは真偽不明の「超能力」や「オカルト」を演出してきた前歴がある。ネットでは既存のマスコミに対する不信が高じてネットにこそ真実がある、という考えも根深いが、現実にネット上に信頼にたる情報を見つけ出すのは当たり前だが難しい。特に匿名で発信される情報は、無責任なだけに玉石混交であり、何を以て信じるにたるべきかを考えるのは難しい。それに必要なのが、思考力なのだろうが、4の「思考のプロセスを重視しない風潮」が影響をして、自分の信じる情報だけを信じる、という傾向がある。情報が嘘でも自分の主張にとって「いい話なんだからいいじゃない」という発言がまかり通る現状では、ネットを情報源とするのは慎重たらざるを得ない。私自身結構ネット上に情報源を求めがちなので、自戒したい。
2の「しつけや道徳との親和性の高さ」というのは、例えばゲーム脳を菊池氏は挙げている。ゲームをやめさせたい、という時に科学性を装った「ゲーム脳理論」が持ち出される、というのだ。結局自分の主張に適合した理論を探してあてはめる、という安直な姿勢がニセ科学にからめとられることになる。
3の「相関関係と因果関係の混同」というのは、菊池氏が挙げた例ではこういうものであった。テレビの普及と日本人の長寿化とは相関関係はある。しかし因果関係はわからない。相関関係だけを見れば「テレビは健康にいい」という結論が導き出せるのだ。しかし因果関係は当然ないだろう。
4の「思考のプロセスを重視しない風潮」ということに関連して、私が予備校時代に学んだ小論文演習のテキストに載っていた小論文採点印象である。

・類型的な答案が多く、個性的な答案が少ない。
・個人的な立場を離れて、自己を突き放し、社会的に冷静に考えた答案が少ない。
・思い込みや先入観による問題文の不正確な理解が多い。
・具体例を挙げているが、不正確な知識をふりまわしている答案が目立つ。
・広い読書や討論などによって思考を進め、バランスの取れた結論に至る、という訓練が著しくかけるように思われる。

三つ目は読解力の問題であるが、他は思考力の問題である。
一番目の「類型的」というのはかなり耳の痛い指摘。どうしてもある程度思考の枠組みがあって、それに乗っかって書くことが多くなる。「個性的」になれるのは私の場合、歴史学にかかわることか、中国受験の国語・社会の教科指導に関することに限定される。今回の「2000人の根拠」シリーズはある意味「類型的」たる誹りを免れない。
二番目の「個人的な立場を離れる」というのは、今回最大限意識したところである。もちろん不十分であることは自覚している。これと関連して小論文の講義でいわれたのは「自分に三倍辛くして他人に三倍甘くしてようやく公平」ということだ。私と立場の違う意見には三倍甘く、自分と同様の意見には三倍辛く見る、というのは中々に出来ないことである。
四番目の「不正確な知識」ということに関して。何が「正確」で何が「不正確」かというのは、これも難しい。
五番目の「訓練」に関しては、現在の学校制度の中ではほとんど教わらないだろう。論理的な文章を書く訓練はあまりない。最近あるのかも知れないが、ネット上や大学生のレポートなどを読んでいると、論理的な文章を書ける人は限られている。否、専門の研究者でも事実を羅列するのは得意だが、論理的な文章を書けない人を見かけることがある。若い研究者に多いのだが。ちなみに私は研究者としては「若い研究者」に入る。この批判は他人事ではなく、私自身に突きつけられている問題である。
最後に物事を論じる時に参考になる心構えを備忘録代わりに。「他人を批判したからと言って、本人の正しさが証明されたことにはならない」「批判するのなら、具体的に根拠を示して、論理的に。内部の論理矛盾・論理不備をつくか、実例をあげて反証とするか、いずれか。一般的に言って全面肯定や全面否定は成立しがたい。」