近況

まあ娘が生まれて育児に手を取られている段階で、優先順位が荘園経営(戦国IXA)の下にあるブログが更新される可能性は低いわけだが、一応荘園経営よりも上位にある「はず」の論文が終わった。
そこではモンゴル戦争の時の朝廷(厳密には院)での議論を取り上げ、従来「字面の解釈」にとどまる、とみなされてきた後嵯峨院での三別抄の牒状をめぐる議論が、きわめて情勢分析に大きな影響を及ぼす「字面の解釈」であることを考察した。「貼」か「見占」(うかがう)かでは、牒状の意味が全く異なるのであって、「貼」ならば意味不明だが、「見占」ならば、モンゴルが日本に攻め寄せようとしており、この牒状はそれに対して連帯を呼びかけていることが読み取れるのである。院では三別抄の牒状を無視し、クビライの使者趙良弼には返牒をしようとしているのであり、モンゴルとの交渉に応じる姿勢を見せているのである。
ということを論じた。その前提となる問題として近衛基平についても考察している。むしろメインは近衛基平の方であるが。
ようやくそれを提出したか、と思ったら、今度は何と北大で報告する機会を与えられた。中世のアイヌ史について、である。一時活発であった日本中世と北方地域の問題に関する研究が、最近停滞している理由について思い当たるところがあるので、それについて論じ、さらにその打開のための試みを考えている。