ギャップ2

昨日は大学で一回生配当の一般教育科目の歴史学。テーマが蒙古襲来なもので、学生は妙な期待をしている。鎌倉武士の奮戦、モンゴル軍との息詰まる戦闘、国難に団結する人々。そんなもの、歴史学の対象ではない。趣味でやってくれ。大学で講義する内容ではない。では何をやっているのか。昨日は私は「封建制」とは何か、ということを延々やった。マルクスの『資本制的生産様式に先行する諸形態』、ヘーゲルの『歴史哲学』などを駆使して「原始共産制奴隷制封建制→資本制→共産制」という「世界史の基本法則」の問題を中心に、日本の歴史認識にいかにマルクス主義的な考えが取り入れられているか、そしてそれを相対化する為の準備を行なった。ちなみに私は反マルクス主義ではない。ただ現在の受験産業での歴史像が1950年代に主流だった石母田正の領主制理論の枠組みを出ていないことが問題だと思っているのだ。そして黒田俊雄の権門体制論的な鎌倉幕府理解(黒田氏もマルクス主義歴史学である)を示し、領主制理論的な鎌倉幕府理解を相対化させることに努めている。
で、こういうことをしていると、学生からクレームが来るのだ。「戦国武将や勤王の志士の生き様を教えて欲しい」。そんなもん自分で調べてくれ。大学でやることではない。「このようなことに意味があるのか疑問だ」。なら歴史学を勉強するのは即刻やめなさい。こういう基礎を押さえずに、いきなり応用に行っても、せいぜいよくて史料に書いてあることに振り回されるか、最悪、既存の枠組みにしばられて歪んだ歴史像しか描けなくなるのだ。
まあ面白くないことは認める。しかし野球でいえば、走り込みと素振りをしないやつはだめでしょ?っていうか、何でも本格的にやろうと思えば、地味な作業がありますやん。それを飛ばして面白いところだけやらせろ、というのは虫が良すぎると思いませんか?