悲しきさだまさし

多くのブログで取り上げられていることであるが、昨年の紅白でのさだまさしには感動した。「遥かなるクリスマス」。その歌詞を一部挙げておこう。

メリークリスマス
二人のためのワインと それから君への贈り物を抱えて駅を出る
外は雪模様 気づけば ふと見知らぬ誰かが僕にそっと声をかけて来る
振り向けば小さな箱を差し出す 助け合いの子供達に僕はポケットを探る
携帯電話で君の弾む声に もうすぐ帰るよと告げた時のこと
ふいに誰かの悲鳴が聞こえた 正面のスクリーン激しい爆撃を繰り返すニュース
僕には何にも関係ないことだと 言い聞かせながら無言でひたすら歩いた

メリークリスマス
僕達のための平和と 世の中の平和とが少しずつずれ始めている
誰もが正義を口にするけど 二束三文の正義 十把一絡げの幸せ つまり嘘
僕はぬくぬくと君への 愛だけで本当は十分なんだけど
本当は気づいている今のこの時も 誰かがどこかで静かに命を奪われている
独裁者が倒されたというのに 民衆が傷つけ合う平和とは一体何だろう
人々はもう気づいている 裸の王様に大人達は本当の事が言えない
いつの間にか大人達と子供達とは 平和な戦場で殺しあうようになってしまった
尤も僕らはやがて自分の子供を 戦場に送る契約をしたのだから同じこと
子供達の瞳は大人の胸の底を 探りながらじわりじわりと壊れていく
本当に君を愛している 永遠に君が幸せであれと叫ぶ
その隣で自分の幸せばかりを 求め続けている卑劣な僕がいる
世界中を幸せにと願う君と いえいっそ世界中が不幸ならと願う僕がいる

これほど強烈なメッセージを誤読することはありえない。誤読する人がいれば、恐らく日本語の理解力に大きな欠陥を抱えている可能性がある。さだまさしのこのメッセージに賛同するのも、反発するのも有り得べき主張だ。明らかにイラク派兵と憲法改正への動き*1に反発した、政治性の強い楽曲を歌い上げるさだまさしに感動する人はいていい。またそのようなさだの「政治的偏向」に嫌悪感を催すのもいい。しかし誤読をするのはさだまさしに対する最大限の冒涜だろう。
しかし現にそういう人々がいるから始末が悪い。例えば「戦場というのは世間一般のことで」など。あり得ない。はっきりと「激しい爆撃を繰り返すニュース」「独裁者が倒されたというのに民衆が傷つけ合う平和」これがイラクのことでなくて何なのか。岩崎宏美の「聖女たちのララバイ」における「この街は戦場だから 男はみんな傷を負った戦士」とは違うのだ。さだにおける「戦場」とは、そういう比喩ではない。具体的な「戦場」だ。「僕らはやがて自分の子供を戦場におくる契約をした」というのは憲法第9条の改正海外派兵のことだろう(この部分、ご指摘を受けて修正)。このさだのメッセージに対し、反対するのもいい。賛成するのもいい。しかしわい曲して読み込むという、表現者に対する最大限の侮辱は止めて欲しい。
現にさだファンの右翼に変なことをいっている人がいるのだ。自分が好きだったさだが自分の政治信条と違うことをいってとまどう気持ちはわかる。それならば、さだを批判すべきだろう。それができないならば、困惑したまま沈黙するのもありだろう。しかし自分の政治信条にあうようにわい曲するのは、さだに対する最大級の侮辱である、ということに本人が気付いていないのが、おかしい。さだがもしそのブログを見たら怒り狂うだろうな。
もうひとつさだまさしの表現を。

・・・戦いになれば力の強いものが弱いものを押しつけていったんは決着するように見えるけれども、押さえつけられた側の怨嗟は伏流となって決して涸れず、いつの日か必ず地表に吹き出すときが来る。そしてまたその時代の力関係で、同じ戦いが繰り返される。負の連鎖はしかも残虐に加速する。チェチェンもヨルダン西岸もコンゴもシェラレオネもアフガニスタンイラクも全部そうだ。
無念にも人は強者に屈する。正論であっても無視されるか口を封じられ、強者は結局自分の思い通りを貫く。近年、僕は大統領選挙の度にアメリカが嫌いになる。あれほど差別の酷い国に正義などあるはずがない。最も強いアメリカがどこまでも強者の論理を押し通す強弁体質を貫く限り、いつか誰も信用しなくなる。力で押し通す奴は悪い奴だ。その悪者に対し、いい大人の代表が、「正論」すら言えず、揉み手をしてへつらう姿を見ていたら、子供は大人を軽蔑するし、社会は卑劣になる。いつになれば日本は属国文化を恥だと気づくのか。心の独立運動を起こそう!

こういうさだを応援するのか、しないのか、であって、またはこういうさだの主張は嫌いだが、音楽は好きだ、とか、さだの音楽は嫌いだが、主張は好きだ、とかいろいろあってもいい。しかしさだの主張をねじまげることはやめよう。
しかしさだまさしといえば、80年代は保守的と思われていた人なんだけどな。坂本龍一もね。五百旗部真が言っていたな。80年代左翼は五百旗部たちを「保守反動」と呼んで非難してきた。しかし今の日本の流れに抗しているのは我々であって、左翼は何もしていないじゃない、と。
といいつつ今とある右翼系のさだまさしファンのサイトを見てきたら、結構いいことが書いてあったりしたことも書き添えておく。

*1:ご指摘を受けて訂正します。