どら様にお答え致します。

どら様という方より以下のコメントをいただいた。

どら 『田舎の高校を出て東京の私立大学を卒業し、2児の父親になっているものです。お書きになられている、“小学校からでないと、選択肢さえ無くなる状況”というのは、紛れも無い事実なのですよね? これまでの私の周りには、このような情報が無くて理解が出来ていません。こんな馬鹿野郎に、現状の教育実態を教えてもらえませんでしょうか。真剣な願いです。』

まずお断りをしておかなければならないが、私自身極めて限られた視点から見ていない、ということである。公立高校−私立大学というあまり受験的でない人生を歩み、大学院を出て大学教師をやっているが、それでは食えないので塾で中学受験の指導を行って糊口をしのいでいる。中学受験に携わる者の言い分であって、そういう偏向が存在していることを念頭に置いていただきたい。
まず言えるのは中学受験が一般化していることだ。私が小学生だった30年程前にはこんなに中学受験をする人はいなかったと思う。一部のエリートしか受けなかったはずだ。今はかなり成績の悪い人でも受ける。この十年見ていても質の低下は著しい。下のクラスは悲惨だ。公民分野など全く知らない。学校で習わないのだろうか、と思うくらいだ。学校レベルの学習が怪しいのに中学受験をする。受かるのか?と思われるかも知れないが、これが受かるから受験テクニックはこわい。しかし受かるだけだ。そういうのが集まる中学校のレベルは推して知るべし。大体そういう成績下位の生徒が行く中学は大学の付属である。早い話が青田買いをしているわけだ。そうでもしなければ学生が集まらないのだろう。そういう大学のレベルも推して知るべし。学級崩壊を起こしている大学もあるやに聞き及ぶ。
ではなぜそうまでして中学受験をさせたがるのか。それは大学受験である。公立中学校という場は受験指導に特化できない事情がある。私立中学では中学から大学受験に向けた指導を開始する。2年で3年分のカリキュラムを終え、中3からは高校のカリキュラムをやる。高校2年の後半から大学受験指導を行う。つまり浪人したのと同じ程度の勉強を現役でやるのだ。そら私は浪人しなければあかんわけだ。
灘と甲陽学院が近い将来高校からの入学を中止するという。中学から入ってきたものと高校から入ってきたものとの差が激しすぎるのだそうだ。高校から灘に行っても進学実績が上がらないらしい。灘らしからぬ進学先が散見されるのは、高校からの入学生だという。確かに灘から私の出身大学って寂しすぎるわな。
というわけで、世間で中学入試がまだまだブームなのだ。まあそのおかげで私も食えてるので文句は言えない。ちなみに中学入試は特殊な試験なので、塾に行かずに私立中学に合格するのは事実上不可能だ。なぜなら公立の小学校で習う程度の入試問題ならば、ただのくじ引きと変わらないからである。差異化しなければ選抜試験の意味をなさない。だから特殊な試験問題が出る。特に算数に顕著で、灘・甲陽・神戸女学院クラスの生徒は私が見ても皆目わからない問題を2分程度で解いてしまうのだから、びっくりする。問題を見たらやり方のパターンを瞬時に割り出し、解法に沿って反射神経的に解いてしまうのだ。ちなみに国語はそういう極端なテクニックはない。社会は、ある。特に地理。覚えるべきポイントは決まっている。ところがそれを知らない生徒は要らないことばかり覚えて、必要なことを覚えないのだ。何を覚えるべきか、を教えるのが社会と理科の根幹だ。国語は一応の解法はある。それを知らない生徒と知っている生徒ではかなり違うのだが、算数に比べると、身に付いていなくても結構解けてしまったり、身に付いていても解けなかったりする。
小学校から、というのは、下位クラスの生徒の通学している小学校と灘クラスの生徒の通学している小学校はあまり重ならないのだ。修学旅行の時に実感する。日によってクラスの欠席率が全然違うのだ。京都の不動産の広告を見れば、こんな記述が目に付く。「○○学区」。書いてある小学校と書いてない小学校がある。書いてある小学校は、それが売りなのだ。私立中学への進学率が高い小学校の場合は書いてある。それだけで不動産の値段が違うわけだ。だから中学受験を考える人はそういう所に引っ越したりするわけだ。実はあまり効果がないと思うが。勉強の出来ない生徒がそこの小学校に行っただけで頭良くなるとは思えないから。気分の問題でしかない。しかし交友関係は違うか。
小学校から勝負というのは、中学受験をする場合、小学3年から塾に行き始めることが多い。最近では一年生コースを設けるところもある。私の塾も数年前までは4年生からしかなかったが、保護者からの問い合わせが多かったのだ。で、だいぶ逃がしてきた、と思ったのか、3年生から始めている。ライバル塾では1年生コースがある。小学校入学と同時に中学受験の準備を始める人もいるわけだ。何か間違っている、とは思うが、私もそれで食っているのであるから文句は言えない。
ということです。文章は整いませんが、ある程度伝われば、と思います。「選択肢すらなくなる」とまでは言いません。しかし確実に東大に行こうと思えば差は出るかも、とは思います。公立高校から東京大学というのはやはり少数派で、多くは開成・麻生・灘などから出ているのではないか、と思います。ちなみに京都大学も私立中学出身者が幅を利かせているようです。私のいる大学はそんなことはありません。地方の秀才と都市部の落ちこぼれ(私)みたいなのが混じっています。だから地方出身者はびっくりするほど優秀です。
地方の問題が出たので一言すると、京大関係者(の極く一部)でいわれているジョークがあります。「京都出身の京大生よりも○○出身の○○大学生の方が優秀だ」(○○の中にはご自分の出身県とそこの中核大学を入れて下さい)。だからどら様のように「田舎の高校を出て東京の私立大学を出た」というのは、どら様が優秀な証左です*1。極端な話、どら様と同じ頭脳を持った人が東京で私立中学受験をしていれば、当然のごとく東京大学にいかれていたのではないでしょうか。東京大学に行くのが全てではありませんし、東京大学に行ったから偉いとか、勝ち組とか言うわけではもちろんありませんが。
地方の学生がなぜ優秀か、という問題は稿を改めて論じたいと思います。

*1:私がもし「田舎」に住んでいたら、大学に行かなかったことは想像に難くない