スマトラ沖地震

私の勤務先のOBがこの前塾に来た。私は覚えていないのだが、向こうも覚えていないだろう。当時私は社会の下のクラスを担当していたが、その生徒は灘志望だったので上のクラスに在籍していたからだ。その生徒が来て、以下のような文章を書いたビラを置いていった。

■ 大阪市大医学部生の「アチェの子供達に自転車を送ろう」という活動について
2004年12月のスマトラ沖地震から一年が経ちました。最近僕(当塾OB)は、大阪市立大学医学部5回生の方たちのこの活動を知り、僕と僕の家族はこの活動を全面的に支援しています。
この医学生はAMDA(Association of Medical Doctors of Asia)でスマトラ島のバンダ・アチェに行き悲惨な状況を見、特に親を亡くすなどして就学が困難な子供たちに自転車を送ろうと考えました。なぜ自転車なのか・・・企画書に、「自転車さえあれば、遠くの学校にバイクタクシーで通うお金がなくても学校に行ける子供たちがいる。自転車さえあれば、お昼ご飯を買うお金も満足になく、学校に行ける子供たちがいる。そうした現地のニーズに応えたいと思いました。」とあります。
この活動の詳細はAnak Aceh Assistant 〜アチェの子供に自転車を送ろう☆〜 - livedoor Blog(ブログ)で紹介されています

■ 勉強できるという幸せについて
11年前の阪神・淡路大震災で僕の家は全壊しました。当時○○塾の4年生だった僕、中学受験を控えていた6年生の兄は一瞬にして、小学校と塾の教科書、教材、筆記用具等、全てを失いました。(中略)兄は震災での姉の死や環境の激変にも関わらず、○○先生のお励ましとお力添えで、無事志望校に合格することができました。2年後、仮設住宅暮らしの中で、僕も灘中学に合格しました。
勉強できる場所と環境がある、ということがどれほど幸せなことか、僕たち兄弟は身をもって知っています。ですから僕たちはこの活動に少しでも力になりたいのです。(後略)

こういうドラマがあったんだなぁ、と感慨深い。私がその塾での仕事を始めたのは震災の翌年だった。塾自体は大きな被害はなかったようだが、周囲には空き地が目立った。今、その空き地には家が建ち、マンションが建って、私が仕事を始めた時分とは大きく景色が変わった。しかし震災で家族を失った人にとっては年月が経とうと、風化しないだろうし、姉の死を乗り越えて受験を成し遂げたその兄弟の精神力には感嘆せざるを得ない。震災で亡くなった姉も塾の卒業生だったようだ。私はもちろん知らない。
兄弟の精神力に感嘆した、と書いたが、子どもの精神力は私のような大人が考えているよりもはるかに強いのだろう。私は京進宇治神明校の生徒のことを思った。健闘を祈りたい。