一澤帆布問題

一澤帆布問題。あれはいわば経営と現場の乖離の一つのパターンだろう*1一澤帆布を切り盛りしていた三男の一澤信三郎氏を差し置いて兄である信太郎氏が株式を取得し、一澤帆布の経営権を掌握したのだ。信太郎氏は東海銀行を定年退職後に一澤帆布に乗り込んできた。経営を知り尽くしているから、自分が経営に携われば一澤帆布の業績も伸びるだろう、と考えたのだろう。しかし現場は反発した。当然である。そして信三郎氏を中心に新たなブランドを立ち上げることとなった。信太郎氏の目論見は完全に失敗した、といえるだろう。
この問題を見ていて感じたのは、大阪府立高津高校の問題である。民間出身の校長が来て、現場とあつれきを引き起こした事件だ。
この問題で共通している点が一つある。それは外部から経営のプロといわれる人がやってきて、突然現場を改革しようとした点である。しかし現場の事情を知らない人が突然やって来て、自分のやりかたを押し付けようとしてもうまくいかない、ということははっきりしている。
こういう形での現場掌握はどこでも起こっているように思う。大学の現場でもそうだ。理事会が実権を掌握して、現場の代表である教授会を押さえ、たとえば研究費をなくそうとする関西大学、総長選をなくし、理事会が選ぶ方式にしようとしている立命館大学。ちなみに立命館大学は教員の給料を削減して7億円捻出し、教育予算に充てた。ちなみに年間一ヶ月分の給料削減である。
今日は某コンピュータ学校で教えている塾の同僚がぼやいていた。現在進められている「改革」が現場の意見を無視して行なわれている、と。それを主導しているのがアメリカでビジネス学を学んできた人なのだそうだ。いま、日本では現場が軽視され、経営の論理のみが先行している。
アメリカの経営方式そのものだ。アメリカの企業における経営陣は多くの企業を渡り歩く経営のプロで、現場とは考え方から生活から何から何まで違う人々なのだ。日本でもそういう風潮になりつつあることを感じざるを得ない。

*1:言い方を変えれば、会社は株主のものか、否か。