思い出

私の大学は民主青年同盟が強い大学だった。自治会はほぼ民青。私のいた学科は反民青色が強かった。私自身は常に反体制に身を置く悪い習性が身に付いているので、大学内の体制である民青には反体制の立場で臨んでいた。というのも私が四回の時には自治委員選挙で民青に有利なように選挙方式を改悪しようとしていたので、生理的に反発したのである。別にもともと民青が大半を占めているのだから、経過はどうあれ、出てくる結果は同じなのだが、だから民青側も楽しようとしたのだろうが、そういう横暴を許してはならない。あくまでも生理的レベルではあるが。
学生大会での民青側の強行採決ぶりもひどかった。冷房設置問題も同時に進んでいたのであるが、民青側は反対論の出にくい冷房設置問題と自治委員選挙方式の改悪をセットで出してきて、一括採決に持ち込もうとした。そもそも自治委員になりたいヤツなど民青しかいないのだから堂々と別々に採決すればいいのに、一括採決。おそらく反対論が存在することすら認めたくないのだろう。自分に反対する人びとの存在すら許容しない狭量さが透けて見える。それが見えるから余計にこちらも意地になるのだ。
結局数に物を言わせて強行採決。数に物を言わせれば少数派のとる道は一つしかない。審議拒否と退席だ。私は迷わず退席した。私に続いて数十人は退席したと思う。結局賛成多数で可決されたが、退席したことで民青の横暴に一矢は報いたつもりだ。民青からすれば少数派の横暴ということになるのだろうが。