神風の風景 敷島の大和心

杉田上飛曹と宮沢二飛曹の処置に追われる吉田の元に菅野が入ってきた。
「軍医長、飛行許可を下さい」
「ん?わしが禁止してもどうせ飛ぶじゃろ?」
菅野は苦笑した。
「はい、しかし一応傷を見ていただきたいんです」
吉田は菅野の手術跡を診察した。
「まあ、傷口の縫合はうまくいっているし、大丈夫じゃろうて」
というと吉田は言いにくそうに切り出した。
「杉田君は山本長官戦死後の扱いについて何か言っていたのか?」
「山本長官戦死後、やはり搭乗の頻度が増えた、ということは言っていました。ただ戦闘状況も激化していたということではありますが」
「しかし聞くところでは懲罰的に死地に赴かせた、ということじゃが」
「確かに二ヶ月の間に五人がいなくなっていたそうです。残ったのが杉田一人で」
当時、海軍飛行隊員の間では山本長官の掩護を担当した搭乗員は殺された、という噂が流れていた。懲罰として激しい前線においやられ、全て殺されたという話だ、事実山本長官が戦死したのが四月一八日、日高義巳上飛曹と岡崎靖二飛曹が六月七日にルッセル島攻撃で戦死し、柳谷健治飛行兵長が右手首切断の重傷を負う。そして六月一六日のルンガ泊地攻撃で隊長だった森崎武中尉が戦死、七月一日のレンドバ島攻撃で辻野上豊光上飛曹が戦死、残ったのが杉田飛行兵長だった。
「杉田はずっと責任を感じていたんでしょう。だから真っ先にいつも飛び出していった。それが今日の事故につながったのでしょう」
吉田には返す言葉もなかった。
翌日午前六時三五分、343空は再び特攻隊の進路を確保するための喜界島上空に出撃した。菅野の掩護を担当する二番機は加藤勝衛上飛曹である。菅野隊が最後に発進し、その後、自爆兵器桜花を付けた一式陸攻が飛び立って行く。一式陸攻の発進を見ながら、吉田は何も出来ぬ己の無力さを噛みしめていた。菅野にしても必ずしも特攻には賛成ではない。しかし関中佐を背負う菅野には特攻隊を鼓舞する役割が否応なく与えられているのだ。そもそも大西瀧治郎中将は噂では軍令部が立案した特攻には否定的で、しかし早期終戦を目指して特攻隊の司令長官を引き受けたとも言われている。特攻しなければならないほど日本が追いつめられている、ということを大元帥である天皇にアピールするつもりだった、というのだ。しかしその作戦は失敗に終わり、今や日本は狂気の「一億総特攻」を呼号している。完全に日本は戦争の終わらせ方を誤った。政府の無能無策のツケを若者が負わされている。それに対し何も出来ない己の無力さを吉田は噛みしめていた。
「どうせ負けなりゃ特攻隊なんて犬死にみたいなもんよ」
吉田はつぶやいた。今なら菅野にも分かってもらえるだろうか、と思いながら。
第一章 完