安藤美姫選手優勝

世界選手権で安藤美姫選手が優勝。フリーの演技を見たが、やはり浅田真央選手の方が余裕がある。動きもスムーズで安心して見られる。安藤美姫選手は危なっかしい。固いし、ぎこちない。しかしそこが魅力でもあるのだ。いつこわれるかわからない儚さ。精神的にももろさを内包した雰囲気。安藤美姫選手をオリンピック以来ずっと見ていて、安藤美姫選手の見方が何となくわかってきた。千代の富士が好きならば浅田真央選手を応援すればいい。まず間違いなく結果を出してくる選手だ。これからの日本のフィギュア界を背負って立つのは彼女だろう。安藤美姫選手は何となく浅田真央選手の引き立て役のような気がする。そうなればこそ私は何となく安藤美姫選手に肩入れをしてしまうのだ。かつて若嶋津を応援していたように。
安藤美姫選手を応援する意味合いはそれだけではない。オリンピックの時のバッシングや、前回の肩の負傷の時のバッシングは常に特定の思想的傾向を持って誘導されている。安藤美姫選手に特定の思想的関心を呼び起こす背景があるわけでは決してない。にも関わらず、不思議なことに特定の背景を持ってバッシングされるのだ。これはおそらく安藤美姫選手とは無関係に、ただ、現在の日本で特定の政治的傾向を持って動き回る人々に対して、バッシングを引き起こさせたくなる何者かがある。それを安藤美姫選手に投影しているだけなのだ。現在のネット言論を考える上で興味深い事例である。だから私はこだわるのだ。
それを如実に示す某大学助教授の発言。

楽しめればいいって言いぐさ、メダルを射程圏内に捉えている海外の一流選手はしませんね。メダルを取る取らないで帰国後の待遇や自分のみならず廻りの人たちの人生も変わってしまうわけですから。この辺りの日本人選手達の国家に対する安直な態度を見ると、戦後教育は、GHQの狙い通りに、見事に「成功」したのだと思ってしまいます。(安藤美姫選手のトリノでの発言について)

ちなみに彼はフィギュアスケートに関する知識は皆無である。トリノの選考基準すら知らなかったことからも明白である。さらに言えばオリンピック選手のCMの出方も知らないことがうかがわれる。なぜ安藤美姫選手に関心を持ったか、と言えば、その大学助教授のブログに「(某掲示板)の速報スレでの安藤叩きは異様な盛り上がりを見せています」と書いてあるのに関心を持ったからだ。以下経緯は「安藤美姫論3 - 我が九条」を参照。この発言は実は安藤美姫選手が六位に沈んだ2005年12月25日、全日本女子フィギュアが開催されている最中に、つまり安藤選手の成績が確定する以前に某掲示板では安藤バッシングがすでに盛り上がりを見せていたのである。これはあらかじめ仕掛けられていたものだ。仕掛けられた掲示板世論に便乗する大学助教授といういっぱしの「知識人」の「軽さ」が浮き彫りになっている。これは現在の言論状況の「軽さ」をも投影しているのだ。
安藤美姫選手は肩の負傷後もバッシングに苦しんだはずだ。彼女のインタビューでは触れられていたが、あのバッシングもいくつか読んだ限りでは一定の表現的な特徴がある。特定の「軽さ」。自分の好き嫌いを政治的思想に無媒介にスライドさせる「主情主義的」な傾向。現在の「ネット言論」の一つの典型例である。
肝心のことを。
ネットでの卑劣なバッシングにも負けず、堂々と滑り、堂々と優勝した安藤美姫選手に謹んで祝意を申し上げたいと思います。卑劣なネットバッシングと戦う人々にも勇気を与える快挙であると思います。