長崎市長殺害事件に思うこと

このテロ事件はその動機がまだ明らかではないが、現在報道されている通りだとすると、異常な性向の容疑者による特異な事件であるようだ*1。問題はこの容疑者の一事を以て日本人がテロル好きな国民である、あるいは日本人はテロルを容認する民族である、と外国人に言われれば、私はその人を軽蔑し、憐憫の情で以て遇するであろう。外国の事件に関して、日本人が同様の見解をしていれば、私はその日本人を国辱と感じるであろう。
同様に私は日本を「ジャップ」という外国人、特に米国人がいれば、その人を軽蔑と憐憫の情を以て遇するであろう。ましてその人が「ジャップとはJAPANの省略形でJAPなんだ」という屁理屈をこねれば、私の軽蔑の情は増すであろう。同様のことを外国人に言う日本人に対しては国辱と感じるしかない。
最後に故伊藤一長市長による「http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/abm/heiwasengen/sengen_j.htm」をここに貼り付けて卑劣なテロ事件に対する意思表明としたい。

「人間は、いったい何をしているのか」
被爆から61年目を迎えた今、ここ長崎では怒りといらだちの声が渦巻いています。
1945年8月9日11時2分、長崎は一発の原子爆弾で壊滅し、一瞬にして、7万4千人の人々が亡くなり、7万5千人が傷つきました。人々は、強烈な熱線に焼かれ、凄まじい爆風で吹き飛ばされ、恐るべき放射線を身体に浴び、現在も多くの被爆者が後障害に苦しんでいます。生活や夢を奪われた方々の無念の叫びを、忘れることはできません。
しかし、未だに世界には、人類を滅亡させる約3万発もの核兵器が存在しています。
10年前、国際司法裁判所は、核兵器による威嚇と使用は一般的に国際法に違反するとして、国際社会に核廃絶の努力を強く促しました。
6年前、国連において、核保有国は核の拡散を防ぐだけではなく、核兵器そのものの廃絶を明確に約束しました。
核兵器は、無差別に多数の人間を殺りくする兵器であり、その廃絶は人間が絶対に実現すべき課題です。  
昨年、189か国が加盟する核不拡散条約の再検討会議が、成果もなく閉幕し、その後も進展はありません。
保有国は、核軍縮に真摯に取り組もうとせず、中でも米国は、インドの核兵器開発を黙認して、原子力技術の協力体制を築きつつあります。一方で、核兵器保有を宣言した北朝鮮は、我が国をはじめ世界の平和と安全を脅かしています。また、すでに保有しているパキスタンや、事実上の保有国と言われているイスラエルや、イランの核開発疑惑など、世界の核不拡散体制は崩壊の危機に直面しています。
核兵器の威力に頼ろうとする国々は、今こそ、被爆者をはじめ、平和を願う人々の声に謙虚に耳を傾け、核兵器の全廃に向けて、核軍縮と核不拡散に誠実に取り組むべきです。
また、核兵器は科学者の協力なしには開発できません。科学者は、自分の国のためだけではなく、人類全体の運命と自らの責任を自覚して、核兵器の開発を拒むべきです。
繰り返して日本政府に訴えます。被爆国の政府として、再び悲惨な戦争が起こることのないよう、歴史の反省のうえにたって、憲法の平和理念を守り、非核三原則の法制化と北東アジアの非核兵器地帯化に取り組んでください。さらに、高齢化が進む国内外の被爆者の援護の充実を求めます。  
61年もの間、被爆者は自らの悲惨な体験を語り伝えてきました。ケロイドが残る皮膚をあえて隠すことなく、思い出したくない悲惨な体験を語り続ける被爆者の姿は、平和を求める取り組みの原点です。その声は世界に広がり、長崎を最後の被爆地にしようとする活動は、人々の深い共感を呼んでいます。
本年10月、第3回「核兵器廃絶−地球市民集会ナガサキ」が開催されます。過去と未来をつなぐ平和の担い手として、世代と国境を超えて、共に語り合おうではありませんか。しっかりと手を結び、さらに力強い核兵器廃絶と平和のネットワークを、ここ長崎から世界に広げていきましょう。
被爆者の願いを受け継ぐ人々の共感と連帯が、より大きな力となり、必ずや核兵器のない平和な世界を実現させるものと確信しています。
最後に、無念の思いを抱いて亡くなられた方々の御霊の平安を祈り、この2006年を再出発の年とすることを決意し、恒久平和の実現に力を尽くすことを宣言します。
2006年(平成18年)8月9日 
長崎市長 伊 藤 一 長

伊藤一長市長のご冥福をお祈りします。

*1:これについては様々な意見が飛び出し、一概には言えない、としか言い様がない。市長が核兵器使用を違法と言いきったことに対する反発という意見もあれば、市長が北朝鮮の核保有に反対したことによる北朝鮮勢力による暗殺という人までいる。どちらも根拠が不明確な観念論に他ならない。今なすべきはテロルを容認しない姿勢を断固として示すこと以外にはない。背景の考察はもう少し材料が出てからにすべきであろう。この点機会があれば論じたい。