長崎市長へのテロルに思うこと

「私」は一体この問題に何を言うべきか、また何を言えるのか、を考えなければならない。
一般論として観念的なタテマエ論には何の意味もない。それを防ぐためには正義の味方になって正論を述べる前に、具体的な現実観察をすることである。
とは、私が受験生時代に小論文の授業で学んだことである。この小論文のテキストではこうも述べられている。「成人に近い諸君が支離滅裂、あるいは観念的で一方的な他者批判の文章を書いているのを見ると、採点者として力不足を思うよりも情けない感じすらおこる」と書かれている。この「諸君」とはまさに私も含まれているのであるが、この状態は現在も改善されているようには思えない。ちなみに観念的なタテマエ論の代表が新聞の社説だそうだ。
まず私に出来るのは「http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/abm/heiwasengen/sengen_j.htm」を味読し、故伊藤市長の思いを受け継ぐことである。この文章に現れた故伊藤市長の願いを考え、そして故伊藤市長の活躍を偲ぶことである。
例えばこういう事例。「http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2004/kikaku/kikaku5/02.html

 「核兵器のもたらす現実を直視してほしい。核兵器国際法に違反しているのは明らか」
一九九五年十一月、オランダ・ハーグ。核兵器使用の国際法上の地位を審理した国際司法裁判所(ICJ)での演説は、その年の春、長崎市長になった伊藤一長にとって、世界に向けた最初の大仕事だった。
約三十分間の意見陳述。原爆で黒焦げになった少年の写真パネルを法廷内に示しながら、伊藤は涙を浮かべ、震える声で訴え続けた。
核兵器の違法性を指摘することに最後まで難色を示し続けた外務省と渡り合い、被爆地の思いを率直にICJの裁判官たちにぶつけた伊藤に対し、被爆者たちは賛辞を惜しまなかった。「あの時の伊藤さんは立派だった」。ハーグに同行した日本被団協代表委員、山口仙二(73)の感想だ。
伊藤らの演説は翌年七月、「核兵器による威嚇や核兵器の使用は、極限的な自衛状況以外は、国際法に反する」「極限的な自衛状況では、合法か違法か、判断できない」との「勧告的意見」を引き出した。