自衛隊を便利屋と間違う人

湾岸戦争の直前の夏、イラクに在留邦人が人質状態となっていた。私は研究会の合宿にいた。合宿先のテレビを見ていて、イラクの人質の話がやっていて、外務省が懸命の外交交渉を行なっていると言うニュースをやっていた。そのニュースを見ながら当時大学二回生だった後輩がぽつりとつぶやいた。「自衛隊を派遣して救出すればいいのに」と。正直耳を疑った。「頭おかしいのか?」と。憲法9条がどうのこうの以前の問題だ。自衛隊が出動してイラクに進攻した段階で世界中の非難を食らうだろう。アメリカもソ連も動いていない段階で自衛隊だけでイラクに突入してどうなるのか。そもそもペルシャ湾まで何日かかるのだ。外交官が派遣されるのとは訳が違う。それに人質の無事とか、色々考えればあの段階では外交交渉しかなかっただろう。大学二回生にもなってどういう思考力をしているのだ。とその時私は思ったのだ。
彼の思考が理解できたのは翌日のことだ。発達した低気圧によって線路が冠水し、電車が不通になって帰れなくなった。その時ぽつりとつぶやいた。「自衛隊を出せばいいのに」。自衛隊をスーパーマン戦隊もののヒーローのように考えていたのね。何か日本に問題があると自衛隊に出動を要請すればすべてたちどころに解決する、という。自衛隊もたかが電車が冠水で不通になったくらいで出動を要請されても困るだろう。そんなもんJRでやってくれ、ということだ。自衛隊戦隊もののヒーローでもなければ、便利屋でもない。
結局二時間後電車は動き出した。自衛隊どころか水が引けばそれでいい問題だったのだ。
当時私は彼の行く末を心配した。こんな現実離れした思考力では大学の授業にはついていけないだろう、と危惧したのである。それは杞憂に終わった。彼は優秀な成績で大学を卒業し、大学院を経て今は立派に歴史学研究者をやっている。