漢字が書けない子ども

私は漢字が書けない生徒だった。アメリカに行っていた帰国子女という言い逃れをしていたが、実は言い逃れに過ぎない。渡米以前から苦手だった。いずれ日本に帰るつもりだったのだから、一応小学校の勉強は親に見てもらってはいたし、九九は一応できたので、漢字が書けないのはひとえに私の不徳の致すところである。
大人になっても漢字は得意ではなかった。塾講師を始めた頃は漢字が苦手で、よく生徒から突っ込まれた。何せ優秀な子どもばかり集まっている進学塾である。漢字は完璧だったのではないだろうか。生徒には「書き順は突っ込むな」と断りを入れておかなければならない。子どもは割合あらかじめお断りを入れておくと、言うことを聞いてくれる。漢字の書き順は突っ込まず、漢字の間違いはきっちり指摘してくれる。最近では書き順も大分マスターして、漢字を間違えることもなくなった。だからか、最近子どもからの突っ込みがないな、と思っていたのだが、あながちそれだけではないようだ。塾内のテストをチェックしていると、漢字の能力が低下しているのを強く感じる。ひどい生徒になると私の小学校時代以下の成績でしかない。私は小学校時代ははっきり言って落ちこぼれだった。先生の手をつねに煩わせていたはずだ。今、大丈夫なのだろうか、とふと思う。パソコンで漢字は出るから、とは言うものの、自分の言葉をきっちり使える、というのは必要だろうと思うのだが。
そもそも国語の苦手な生徒は漢字だけはしっかり書けないと、点を稼げるところはない。漢字を鍛えることから国語の成績の克服はできるのだが。というわけで国語のダメな生徒には漢字をしっかりやれ、ということは徹底している。しかし今のところ生徒側の多くに改善する兆しはない。おそらく漢字の書き取りをするのは退屈で、個性を圧殺する詰め込み教育だと親も思っているのではないだろうか。しかし漢字がろくに書けないとかなり困ることになる。ちなみに私のバイト先の大学で行なわれるライティングの演習は手書き指定である。でないと、原稿用紙の使い方も知らない社会人は困るだろうと蒙からだろう。私が持ち込みを可能にしてでもテストにこだわるのは、自分の手で物を書く、という機会を少しでも提供したいと考えるから、ということにしておこう。それだけではないのだが。