「しかし」の効能

「しかし」という言葉を使えば自分の主張に厚みを持たせることが出来る。譲歩構文と言われる。「たしかにAである。しかしBだ」という形だ。この場合、重点はもちろん「B」の方にある。「B」を主張したい時に、単純に「B」を主張するよりも、「A」という対立軸を入れることで「自分とは違う意見も承知している」と言うことを示すことが出来て、受験では高得点が与えられる。
もちろん物事を論じる時にはこの形は基本だ。逆に読み取る時には「A」ではなく、「B」に論者の主張の中心がある。
「確かにAかも知れない。しかしBである」という形の文では「B」に論点の中心がある。むしろ「A」は「B」の引き立て役でしかない。
「加害者は悪い。しかし被害者にも責任はなかったか」
この文では被害者の非を論うことに論点の中心が置かれている。この文が意味するのは、加害者の弁護である。加害者の問題点を指摘することにはならない。
「被害者にも責任はあるかも知れない。しかし加害者の侵した罪は許せない」
こうなると、逆に加害者を強く非難する論調になる。
沖縄米軍兵士の少女強姦事件での論調も多くはこの譲歩構文を使っているはずだ。「米軍兵士の犯罪は許せない。しかし被害者も軽率だったのではないか」と。これは要するに後段に論点がある。つまり被害者の非を論い、米軍兵士の犯罪を相殺しようとしているのに他ならない。」
もし米軍兵士の犯罪性を強く主張したいが、被害者側の落ち度も主張したいのであれば次のようになるはずである。
「被害者側も軽率だったかも知れない。しかし米軍兵士の犯罪は問題だ」と。
ネットで目にするのはどちらが多いだろう。*1
漁船とイージス艦でもこの譲歩構文を使うことができる。
1「今回の事故は痛ましい。しかし漁船側にも問題はなかったのだろうか」
これは漁船側の責任を論うことで、イージス艦側の責任を相殺したい時に有効。一応イージス艦を批判しながらも漁船側の「非」を読者に印象づけることを狙っている。2「今回の事故は痛ましい。しかし報道に偏向はないのか」
マスコミ批判をすることで、イージス艦の責任を相殺する論法。論点はマスコミ批判にある。ちなみにマスコミ批判は手軽に「知識人」ぽく振る舞えるのでお勧め。私も結構使っているんじゃないかな。
他にこういう印象操作もある。印象操作は極めて姑息で卑怯な手段だが、それだけに使いたくなる魔力にあふれている。自戒しなければならない。
3「今回の事故は痛ましい。しかし私は護衛艦の前をすれすれで通りすぎる漁船を見た」
自分が見た事例が今回の事故と関係はない。しかしそれを並列して叙述することで、今回の事故の背景にも漁船の無茶な動きがあった、という印象を植え付けたい。もちろん論点はイージス艦を弁護することにある。
これらの例では「しかし」以前の「事故は痛ましい」というような言説はある意味「おためごかし」であることがわかる。或いは「建前論」か。
例えば次のように言えばまた印象は変わる。
1の例文。「漁船側の動きが不明瞭で、一概には言えない。しかし痛ましい事故である」
はっきり言えば「漁船側の問題」については難しい。八代英輝弁護士は一般論として「海難事故で100%対0%はない」と言っていた。ただ「自衛隊側のおごり」ということが主因であることはほぼ揺るぎない。沈没した清徳丸は右に梶を切っていたようだ。そしてこれはどうも問題のない行動だったようで、たまに「小型船がよけるのが常識」という意見も散見されるが、「常識」で言えば、歩行者が車に遠慮するのが常識、という態のものでしかない。自分の「常識」を押し付ける、無意味な言説であることを確認しておきたい。
2の例文「報道については冷静に検討したい。しかし痛ましい事故である」
お手軽に「知識人」ぽく見える有効な方法であるマスコミ批判をする時のポイントについても説明しておこう。「偏向している」という批判は実際は頭が悪そうに見える。自分が「中道」「中庸」と思っているのは、つまり自分の立ち位置が見えていないことと同義だからだ。いわゆる「オレは違う」「エクセプト・ミー」と同じ構造である。論理的な思考をする時にはまず第一に排されるべき考えなのだ。論理的な思考力が身に付いていないことを意味している。
ちなみに最後の「今回の事故は痛ましい。しかし私は護衛艦の前をすれすれで通りすぎる漁船を見た」という論理の運びは頭が悪すぎてごまかしようはない。こういう無関係なものをあたかも関係があるように見せかけるのは悪質なのか相当頭が弱いのかのどちらかだ。偉そうに言っている私もやっているかも知れない。気をつけなければ。
こういうのは自分では気がつかないことが多い。まずは私自身を戒めなければならないと思っている。
ちなみにこの問題に関しては私は「あたご」の大ちょんぼは厳しく批判されるべきだと思う。自衛隊が日本の安全保障に不可欠という立場に立てばなおさらだ。「あたご」をむやみに擁護することが自衛隊の名誉を守ることにはならないと思っている。

*1:私はそもそも被害者の落ち度を論うことに反対である。