左が左を嫌いになる時

私はかつて次のように書いた(「扇動されやすい人2 - 我が九条」)。抜粋しておく。

情報弱者で論理的な思考力が欠落しているが、その自覚のない人が大学に入って、「政治的な理由で教科書には書かれていないが、これが真の歴史である」とか、「馬鹿には理解できないが、これが真の歴史である」とか、「みんなマスコミに洗脳されているが、これが真の歴史である」とか、仄めかされると、当時は立派なサヨクが誕生したのだ。
扇動されやすい人がサヨクに走った理由は、当時言論界では「左翼」が幅を利かせていたからであり、大学に入って世話になるオリターに左翼が多かったからである。その頃はマルクス主義を標榜しないと「右翼」または「ブル」呼ばわり。いろいろなレッテルがあった。私は丸山真男に凝っていたのだが「近代主義者」、佐藤進一に凝ると「実証主義者」。これらはいずれも当時は「ウヨ」という意味である。ちなみに日共が日共とは異なる左翼に貼るレッテルは「ニセ左翼」「極左暴力集団」「トロツキスト」などなど。
私は今まで一度もマルクス主義は標榜したことはない。私の研究にマルクス主義的要素は皆無だからだ。しかし自分では左翼だと思ってきたのだが、周囲が左翼思想にかぶれるのは違和感があったし、「ブル」「近代主義者」呼ばわりには「それで結構」と思う気持ちはあった。あと江戸幕府を「絶対主義」的な政権という見通しを言うと「労農派」呼ばわりもあったな。
結局そういう安易に左翼思想にかぶれた人は、大学卒業の頃には概ね立派に更生していた*1。いろいろな理由があったように思うが、個人的な勘定のもつれとか、Xデーとか、ソ連崩壊とか。何よりも当時の左翼思想は「青年期」思想、今の言葉で言えば「中二病」の典型的な症状だったのだろう。今、情報弱者がネットにアクセスすると圧倒的に目に付くのは保守的な言論である。扇動されやすい人がかつては左翼的言論に魅かれ、今は保守言論に魅かれるのだ、と思う。

この二十年ほどに間に「階級闘争」という言葉はほとんど聞かれなくなった。やはりソ連崩壊が大きかったように思う。反帝反スタを標榜していようが、やはりソ連が崩壊する、というインパクトは大きかったのだ。私の周囲にいた「階級闘争史観」を信奉していたはずの人はほとんど転向した。私は、と言えば、もともと、そして今でも研究の手法はマルクス主義的な手法は使ったことがない。一つの例外を除いていわゆる支配階級の権力闘争を細かく跡付ける研究手法を堅持している。そのような研究手法は20年ほど前には「実証主義」というレッテルを貼られた。分かりやすく言えば「バカウヨ」というレッテルだ。農民による階級闘争を、荘園文書から抽出し、中世における階級闘争を復元するのが、私の周囲にいた中世史研究のメインストリームであった。私のように公家社会の政治的な動静を日記や文書から復元する、というのは誰にも相手にされなかった。私はその後その手法を基に朝鮮史料や中国史料に現れた中世日本の分析を併用するようになったが、やはり荘園における階級闘争を検討する、というメインストリームからは外れていた。「蝦夷」や「倭寇」の歴史に踏み込んだ時には「日本史」の枠組みを相対化することを主張して今度は一転極左扱いを受けることとなった。しかし私自身としては一貫して公家社会の動向を公家日記や公家の文書から復元する、という方針には代わりはない。今幕府文書を読んでいるのは、全く新しいことに属する。そもそも私は室町時代を研究対象にしてきたので、鎌倉時代の研究をするのははじめて、と言って過言ではない。パクスモンゴリカの衝撃の中で形成された「日本」の姿を研究したい、という動機からである。
私がもっともマルクス主義に接近したのは、江戸末期のアイヌの研究だろう。江戸末期における徳川日本の発展の中で搾取されたアイヌの研究をする中で、従属理論を応用してアイヌの立場を検討した。そこでは確かに「階級闘争史観」的ではあったかもしれない。アイヌと和人という対抗関係だけでは把握できない複雑な関係がそこにはあったからである。和人が一方的に抑圧者であり、アイヌが一方的に被抑圧者か、と言えばそれだけでは片づけられない関係がある。和人資本の中で出世していき、和人の労働者を裃姿で幕府の役人とともに監督するアイヌ。彼らは帯刀を許され、和人の出稼ぎ労働者を監督する役割を担っていた。しかしそれを単なる「階級闘争」で分析するわけにもいかない。中核地域と辺境地域の関係で捉えかえすことで帯刀を許され、出稼ぎ和人に対して一見支配関係にあるように見えるアイヌの背景を分析することが出来た、と自負している。これが二〇〇四年に発表された刊行論文で、そのころこのブログを始めたので、私に大きなヒントを与えてくれたI.Wallersteinに敬意を表してこのidを選んだのだ、というのは嘘で、idは横文字で何を選ぼうか悩んで、外人っぽい名前で私のブログの先輩である人がチャーリーにしようか、と言っていたので、私はフランクにしようと思ったら、フランクという平凡な名前は使われていたので、あまり使われていなさそうな名前で、私にも覚えられる名前はなににしようか、ということでWallersteinにした次第。今ならidはTokisukeにしたかも(笑)。
私自身そもそも「階級闘争史観」には最初から疑問を持っていて、それゆえ左派から最初はレッテルを貼られていただけに左派のくだらなさはよくわかっている。そして一番くだらないのは何も考えずに雰囲気で生半可に左翼思想にかぶれ、そして勝手に幻滅して転向する人である。生半可に左翼思想にかぶれる人は、そもそもマルクスフォイエルバッハヘーゲルも知らずに「階級闘争を戦わなければならない」と吹き上がり、勝手に「階級闘争史観は硬直化している」と転向する。そして自分は今でも「左」によっているつもりの極右になるのだ。私の周りにも、そして私が多くを学んだ研究者にもそういうくだらない人はいる。幸いだったのは私の指導教授はどちらかと言えば保守派だったので、階級闘争史観とは大きくかけ離れた私の研究を見守ってくれたことだ。周囲の左翼研究者もいわゆるゴリゴリの階級闘争史観の研究者ではなかったのも幸いだった。ゴリゴリの階級闘争史観の研究者に囲まれていたら、私は到底研究者にはなれなかっただろう。大学院にすら進学できなかったに違いない。
今私は左派を以て任じている。周囲の人間がどうであったかではない、と考えているからだ。私は私が正しいと信じた思想を貫くだけで、左派であることにこだわりはない。ただ今のネットの中では極左になるんだろうな、という自覚はある。そしておそらく20年前には右翼呼ばわりをされるものであっただろう。
自分の思想的な偏りを自覚することが何よりも大事だ、と私は考えている。それに無自覚な言説は無意味であるだけでなく、有害ですらある。