HALTAN氏との論争(?)の私なりのまとめ

最初に断っておきたいが、一連の論争(?)においては私が一方的に言いがかりをつけただけ、というのが実情だ。私は基本的に人の意見に言いがかりをつけることはない。私が言いがかりをつけたくなったのは、HALTAN氏の言っていることがどうしようもなく私とかけ離れているから、ではない。相いれないから、ではない。むしろ私自身はHALTAN氏の言うことにある程度共感できてしまうのだ。だから言いがかりをつけ、HALTAN氏の反応に苛立った。私が勝手に苛立ったのもHALTAN氏にとっては迷惑な話で、HALTAN氏に原因は何もない。
ということをあらかじめ断っておいたうえで、私がなぜHALTAN氏に苛立ったのか、の根本的な原因を少しだけ言及しておきたい。
おそらく私とHALTAN氏は意外と近い場所にいる。HALTAN氏からすれば一緒にするな、という思いもあるかもしれないが、あえて言えば、紙一重なのだ。その一重が大きく両者の立場を隔てている。実は私は過去のHALTAN氏の意見を今回のHALTAN氏自身があげた部分を読み直した。実はほとんど同意できない。しかしその同意できない所以のものが「紙一重」なのだ。
有り体に言えば二人ともある意味サヨクに失望した同士である。HALTAN氏はサヨクのどこかに失望した。私はサヨク教条主義的な硬直した思想に失望した。HALTAN氏はそれゆえ転向し、左翼的心性を保持したまま、「右も左も嫌い」というスタンスになった。私は転向せず、サヨクであり続けた。しかしHALTAN氏から「それは違う」と言われる可能性は非常に高いが、おそらくHALTAN氏と私はサヨクの同じ所が嫌い、なのではないだろうか、と想像する。私は比較的早くにサヨク教条主義的・硬直化した世界観に違和感を感じた。それは私が歴史学という学問に立脚していたことと無関係ではあるまい。歴史学は最終的には「実証史学」でしかありえない。いくら教条主義的な研究者でも、まずは史料による実証がなければ、何らその言葉には意味を持たない。どんな教条主義歴史学研究者でも、今私がまさに行なっているようなクソ実証を行なう運命にあるのである。従って反マルクス主義的な歴史学マルクス主義的な歴史学は共同研究ができる。皇国史観の大御所皇学館大学の名誉総長田中卓氏とマルクス主義歴史学の大御所大阪市立大学名誉教授の直木孝次郎氏が研究会で建設的な議論ができるのである。それゆえ私は政治的にあいまいな立場を採ることを許された。自分の立ち位置を決定するのは自分しかいない。大学の歴史学で学ぶべきなのは史料操作だけなのだ。史料操作の時に自分の立ち位置の偏向を自覚することは求められる。しかし偏っていることを強制されない。むしろ偏っていることを自覚することにより、偏りをなくすように求められるのである。
HALTAN氏は、これも当たっているかどうかわからないし、「それは違う」と言われれば、ただちに撤回する用意はあるが、おそらく経済学のプロパーの人だろうと拝察する。経済学はマスクス経済学と近代経済学の間にかなりの断層があるだろう。これは経済学の人からずれば「そんなことはない」と言われるかもしれないが、少なくともマルクス主義歴史学皇国史観の間よりは遥かに大きい断層ではある。皇国史観マルクス主義歴史学はどちらも「実証」という共通基盤がある。HALTAN氏にかかる圧力は私とは比べ物にならない。私が転向せずに左翼に留まりえたのは、私がさまざまな政治的圧力から比較的自由であったこと、さらには私がまだ二十代前半にXデーとソ連崩壊を目の当たりにしていることが大きい。マルクス主義は目の前で壮大に崩壊したのである。その現実の前で極左的言辞を吐いていた同級生達があっさり転向していくのをみて、私は逆に左翼に踏みとどまってやる、と決意した。私を右派呼ばわりした人々があっさりマルクス主義を捨てていくのをみて、私はいつかマルクス主義を少しでも理解してやる、と決意した。これは所詮私のいた歴史学という学問がある意味緩い場所であったことと大いに関係がある。従って私が今まで転向しなかったのは、私が頑迷固陋であったことも関係あるかもしれないが、自発的に自分の立ち位置を決められる、という恵まれた環境にあったということでしかない。他の学問分野がどうなのか、あるいは私のいた環境が特別だったのか、ということも考慮に入れなければなるまいが、今はそこまで考えていない。