塩まかれました(笑)

塩まかれたので(「知識じゃなくて知的誠実さだよ、馬鹿」)、もう来るな、ということなのだろう。まあいくつか言及したい所もあるが、一つ二つ。

まずこの人の最初の日記とこの日記が同じ人間と同定できる根拠がないので、何とも言いようがないが、「あなたを尊敬していたのですが」ということを書いていたが、どこを「尊敬していた」のだろうか。私はここのところ北条時輔を書いていたか、HALTAN氏にかみついて迷惑をかけたことしか覚えていないのだが。あと何か「尊敬していた」ことに値すること書いていたっけ?どう考えてもただのオタクか迷惑ぶち切れブサヨでしかないと思うが。そういう日記に向かって「はてな紅衛兵」とポジショントークをとる人が「尊敬」って、これはもしかして「尊敬していたのですが」メソッドか?「あなたは今重要な読者を失いましたよ」という強迫観念を与えようというメソッド。いや、そもそもしょうもないことしか書いていないから。

HALTAN氏との関係についてもfuku33氏の問題に関しても完全に決めつけているな。私はfuku33氏とは確か塾経営者のブログ上で挨拶を交わした仲だ(交わしてません。私の片思い)。その時にfuku33氏は経営学を、私は歴史学をそれぞれ専門外の学生さんに教える難しさについて愚痴をこぼしあった(こぼしあっていません。私が一方的にシンパシーを感じていただけ)。だから私はfuku33氏がつるし上げられるのを「おお、こわ」とみていた(大学での愚痴を書くのを止めた)。そしてHALTAN氏に同情した(これは本当)。これはApeman氏のところで告白している(コメント欄において)。私がHALTAN氏にかみついたのは「階級闘争史観」でしかない。「階級闘争史観」というテクニカルタームを安直に使ったことに私は「もったいないな」と思ってブクマでdisったわけだ。その反応にいささか苛立った。これはずっと告白しているが、HALTAN氏に対する共感があり、ここをもっと厳密な概念で話してほしかった、と思っていたからこそヒートアップしたわけだが、もちろんHALTAN氏からすれば単に迷惑なだけであっただろうし、そのことに思い至って私はHALTAN氏には申し訳ない、と謝罪したわけだ。それを「自分もid:hokusyu氏の言ってることを理解してないくせにHALTAN氏が「考えてない」とか言ってたんだね。どんだけ党派的なんだろ。」って、私はそもそもhokusyuさんの言っていることに賛成も反対もしていない。よく分からないから。私がHALTAN氏に粘着した経緯を読めない人で、要するに「はてな紅衛兵」という言い方に象徴されるポジショントークをする人であることだけは明白だろう。

「学問やってる人間をなめないでほしい」氏(何せ増田なんで名無しも不便だし便宜上こう呼ぶ)の何に反応したのかを明示しないと、私のごく少数の読者にもわかっていただけないだろう。私がひっかかったのはただ一つ「学問やってる人間をなめないでほしい」という言葉である。「学問やってる人間」をなめるな、ということは、「学問をやっていない人間」が「学問やってる人間」に何かえらそうな口を利くな、というようにしか読めなかったので私は大きな文字でdisった。今述べたことこそ、「学問やってる人間をなめないでほしい」氏が自分の学問を自分の虚栄心を満たす以外の何ものでもない、という評価につながることである。
で、「学問やってる人間をなめないでほしい」氏は私のどこをとって「曲学阿世」で「エセ学者」と評価したのか、論拠がわからない。頭に血が上っただけの罵詈雑言ならば、要するに「お前の母さんでーべーそ!」ってことだろ。
追記
以下の記述(「」)Wallerstein氏への謝罪と補足 - 吾輩は馬鹿であるに納得。

それに関しては完全な誤解です。
自然科学や社会科学をやっている方にはおわかり頂ける方も多くいるかと思いますが、ときどき半可通の人文系の人がやってきて、「お前らのような単純馬鹿にはわからんだろうが、俺たちのような人文系の人間からするとお前らの議論にはこのような欠陥があって」云々という演説をぶってくださることがあります*1。そのときによく持ち出されるのが「合理主義の延長に人間性の抑圧がある」といった、今回よく見たような文句なのです。そして、そのような常套句はもはや聞き飽きているし、逆に何かものを言うときには、そのような常套句に引っかけられないかどうかという吟味をする癖はついています。
そのように「素人が、そんな常套句ごときで我々の学問の根底を崩せるぐらいなら科学哲学だの応用倫理学なんて学問はそもそも不要ではないか、馬鹿にするな」という苛立ちが内心にあったため、そういう書き方をした次第です。それを「偉そうな口を聞くな」と解釈されるなら言葉もありませんが、しかし私の価値観としては、他分野の専門家を素人の思いつき程度で糾弾するということは非常に敬意を欠いた態度に感じられるということです。

私の誤解、ということで。