増田の中心で「逃げも隠れもしない」と叫ぶ人と対話する


私は曲学の徒であるかもしれないが、少なくとも阿世といわれるほど世の中に役立つことをしたことはない。いつでも阿世となりたい、と念願はしているけど。まさか意味も分からずに悪口を書いているのではあるまいし、どこがどう「世の中に阿諛追従」しているのか示してほしい。「あたまがわるい」という批判は受け入れるが(笑)。辞書的な理解もできなかったし。例の「kuhn‐Tucker条件」ね。ググったら結構いろいろ出てきたが、悲しいかな何もわからない。中学の数学もあやしいのだから、当たり前か。「理解できるのは辞書的な定義だけ」って褒めすぎだって(笑)。

ここの記述なんて中々面白い。

お前らがfuku33氏やHALTAN氏を批判したのが、それほど高度で難解なことであるならば、それを「あたまがわるい」なんて言うべきじゃないし、ましてそれを「理解できない」と言ったことを「理解を拒んでいる」だの「反知性主義」だのと下種の勘繰りで侮辱したりするんじゃない。例えば私は、あなたが一般相対論や微分幾何学を理解できないからって「あたまがわるい」なんて言ったりするつもりはない。それを敢えて他人をサンドバッグにしてまでご自身のご高説を開陳なさるということは、要するにあんた方は人文系知識を「自分の虚栄心を満たす以外の何者でもない」ものとして扱っているということだ。
文句があるなら言ってみやがれ、エセ学者。

「お前ら」って誰のこと?私はそもそもfuku33氏には同情的なんで、氏に対して「理解を拒んでいる」とか「反知性主義」と言った覚えはないけど。で、私は「高度で難解なこと」でHALTAN氏を批判したこともないが。私がHALTAN氏にかみついたのは氏の「階級闘争史観」の言葉の使い方をめぐってであって、氏が元左翼であって、かなり経済学の概念については詳しいはずである、という出発点がある。人のことを「尊敬していたのですが」という割には、一番最近の議論さえろくに読んでいないことが明らかだ。人の書いた文章をまともに読む気がない人に「知的誠実さ」を云々されてもなあ。
で、捨てぜりふが「エセ学者」か。一応アカデミズムに属する「学者」だから「アホ学者」と言われればまだ分かるけど、偽物呼ばわりされてもなあ(笑)。