追加法266〜268

「建長二年三月五日辛未、今日評定、条々有被定仰事」という長ったらしい題名が付いている三条の法令をみていく。いわゆる「撫民」「徳政」の重要な側面である裁判に関する法令である。
中世社会というのは基本的に「自力救済」の世界である。今の言葉で言えば「自己責任」となろうか。国家は民間には不介入である。こういう社会では強者が得をする。地頭対百姓では圧倒的に地頭が有利である。地頭はそもそも鎌倉殿御家人であるわけであるから、鎌倉殿の政権である鎌倉幕府に訴え出ても相手にされない。まさに「泣く子と地頭には勝てぬ」なのである。しかし追加法269には「百姓有其謂者」とある式目42条における「逃毀」と「去留」 - 我が九条。「百姓」と地頭が裁判をして「百姓」が勝訴することが想定されているのである。
「自力救済」と並んで中世社会の裁判を特色付けているのが「寄沙汰」である。裁判が「自力救済」つまり政府の介入を最小限にする方針であるならば、当然強者が有利になる。弱者のとり得る道は強者に訴訟を丸投げするしかない。強者に訴訟を丸投げすることを「寄沙汰」という。今の社会になぞらえるならば、大きな組織は訴訟に多額の金額をかけ、有能な弁護士に依頼するなどして訴訟を有利に進めることができる。そこで弱者はその大きな組織に手数料を払って訴訟を代行してもらうのである。これが寄沙汰である。当然その大きな組織にコネのある者が有利になる。さらにはその大きな組織には寄沙汰を依頼した者からの謝礼が入り、懐は潤う。
寄沙汰の主力となったのが寺社権門である。宗教的権威をバックに自分の言い分を貫徹する強制力を持った宗教権門が裁判においても大きな影響力を持つことは当然だろう。今回はその寄沙汰を制限する法令である。全三条の内、一条ずつみていく。
本文

一 可停止寄沙汰事
仮権門威、令致自由沙汰者、懸主人殊可被処重科

読み下しと解析

一 寄沙汰を停止すべきこと
権門の威を仮り、自由の沙汰を致さしむる者、主人に懸けて殊に重科に処せらるべし。

「権門の威」を借りて、自分の都合のいいように裁判を進めようとすることを「寄沙汰」という。これは重科に処せられることであったのだ。