史料

『政基公旅引付』続き

次は永正元年(1504年、文亀四年は二月二十九日に永正に改元)三月二十六日条。 二十六日戊子 晴、去夜又蕨之粉盗人有之。見付而追入家内殺害了。寡婦両人也。其外十七・八ナル男子、其外年少之子共、夜前モ六・七人殺之云々。不便不便。盗人之上者不及是非…

蕨粉と『政基公旅引付』

文亀四年(1504)二月十六日条の『政基公旅引付』(九条政基の日記)が少し話題になっているので、九条にこだわる弊ブログとしても、乗らないわけにはいかない。 原典を示しておこう。どうやら原典はネット上ではないようだ。時代の進歩について行こうw 十六日…

『福山秘府』巻之二(9)−天文二十一年〜二十三年

同(天文)廿一年*1壬子 松前年代記曰上国城代南条越中広継之室企逆、弑蠣崎宮内舜広及次男万五郎元広。越中室自殺矣。是時東部唱*2里葛那必為二子墓所長泉寺領。 按新羅記、南条広継之妻者 永安公之長女也、欲廃公之男子、立我養子基広密*3計露而基広伏誅。…

『福山秘府』巻之二(8)−天文十八年〜二十年

同(天文)十八年*1己*2酉 松前年代記曰是歳修造毘沙門堂。 按新羅記天文十七年春三月季広参詣于上国天河毘沙門堂。于時賢蔵坊向公謝曰、某応太郎基広之需而謀公然祈不得其効事殆至此。季広使令長門藤六広益討基広。故翌年修造此堂云。同十九年*3庚戌 松前年…

『福山秘府』巻之二(7)−天文十七年

同(天文)十七年*1戊申 松前年代記曰春依上国蠣崎太郎基広*2反逆露顕。因令長門藤六広益討之。 按基広者 勝巖公*3之弟次郎高広*4之子也。是時基広四十歳。見于永正六年。 亦按新羅記昔日〈享禄末乎〉有羽州庄内郡司土佐静林翁者、入洛時大将軍義晴卿賜翁茶…

『福山秘府』巻之二(6)−天文十四年〜天文十五年

同(天文)十四年*1乙巳*2 松前年代記曰秋八月十九日義広逝。于時六十七歳。 按一本、此矣享年六十四歳、是訛也。方諡法幢*3寺殿勝巖宗全大庵主。 是歳秋九月八日 勝巖公尊夫人逝去。諡瑞光院殿心月珠泉大姉。是亦追諡也。同十五年*4丙午 松前年代記曰季広継…

「福山秘府」巻之二(5)ー天文七年〜天文十二年

同(天文)七年*1戊戌 松前年代記曰是歳造立将軍地蔵堂於松前北山。 按新羅記是時阿吽寺快盛宝院為司官 又按海渡山寺録暦代中無快盛法印者可疑矣。伝云此北山鳴動則境内必有凶事。未詳然否。同八年*2己亥 按是歳舜広生。是 永安公第一子也。小字彦太郎、後称…

「福山秘府」巻之二(4)天文元(1532)年〜天文五(1536)年

天文元年*1壬辰 松前年代記曰自夏四月至秋九月不雨 同三年*2甲午 松前年代記曰夏四月十日蛇出。于上国義広射之。 按新羅記四月十六日也。蛇従女奈河口出于天河南岸。義広放箭射殺之。其間凡二町余云々。蛇当作蠎乎。 同五年*3丙申 松前年代記曰夏六月二十三…

『福山秘府』巻之二(3)−享禄元(1528)年〜享禄四(1531)年

享禄元年*1戊子 松前年代記曰夏蝦夷蜂起。義広平治。 按新羅記、是歳夏五月二十三日夜暴風雨。至義広〈年代記者初作良広也〉自横杖槍*2、率壮士而警衛。于時夷賊在柵外、義広乃突賊貫之。因賊徒尽敗走。自是伝其槍以為家宝矣。 按槍匠兼綱也。元禄中賓客岡田…

『福山秘府』巻之二(2)−大永元(1521)年〜大永七(1527)年

大永元年*1辛巳 松前年代記曰春三月廿二日高広逝。于時三十九歳〈一作三月廿日〉。 是歳基広守上国。 按基広者高広之子也。已見于上。藩主第九世亦高広*2者利永公是也。 亦按是歳建立妙光山法華寺。其実承応*3中修造。同三年*4癸未 松前年代記曰夏造立山王堂…

福山秘府巻之二(1)−文亀二(1502)年〜永正十六(1519)年

文亀二年*1壬戌 松前年代記曰是歳永快生。 按永快其人未詳。一説泰巖公*2第二子高広*3成僧、号永快阿舎梨*4。高広者文明十五年春正月生。已見于上*5。宜照考文明・永正・大永・天正中 又按是歳建立福寿山永善坊、至明和三年冬更号慈眼寺。永正元年*6甲子 松…

「関東新制条々」25−追加法364その8

「物具事」という条文の続き。 色革近年為薬染之由、偏有其聞。仰諸方地頭等并町屋沙汰人、可停止之。 読み下し。 色革は近年薬染めを為すの由、ひとえにその聞こえあり。諸方地頭等ならびに町屋沙汰人に仰せて、これを停止すべし。 「革」の色を派手にする…

「関東新制条々」25−追加法364その7

「物具事」の一部。長いのでだれる。しかも面白くない。よくわからないこと多いし。 羽事、於上品者、郎等以下之輩、不可用之。切生者前々被定下畢。同可守彼制也。 次造羽事、一切可停止之。 「羽」の上等のものは郎等以下は使うな、「切生」は以前定めた通…

「関東新制条々」25−追加法364その6

「物具事」の一部。今回は「行縢」(むかばき)という「袴(はかま)の上から着装する服飾品」(「http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%A1%8C%E7%B8%A2/」)に関する規定。流鏑馬などの時に穿いているあれ、と言えば分かりやすい。 行縢於大斑者、一切停止之…

「関東新制条々」25−追加法364その5

「物具事」という条文。今回は腰刀。 腰刀組下緒可止之。 腰刀を帯びる時の下緒に、上級貴族は組紐を使っていたようだが、それが御家人にも流行したのだろう。それを禁止する法令。

「関東新制条々」25−追加法364その4

「物具事」という条文の一部分。 腰充弦巻伏輪金物可停止之。 「腰充」は「腰当」と書くのが一般的で、「腰当とは打刀や脇差を太刀のように刃を下にして、腰に付ける為の用具で、鎧着用の際に装着すれば刀が安定し、乗馬の際には鞘が馬に当たる事もなく鎧に…

「関東新制条々」25−追加法364その3

「物具」つまり武具についての規制条項。華美にならないように、ということで「上下諸人」や「僧侶」に関する規制をみてきた。今度は神事の時の「物具」のこと。 本文。 神事并元三出仕晴儀之外、於総鞦者、可停止之。褻行之時、不可用総鞦。雖女騎馬、蒔絵…

「関東新制条々」25−追加法364その2

続き。 僧侶并児之同。又剣刀一切不可随身之 読み下し。 僧侶ならびに児はこれに同じ。また剣刀は一切随身すべからず。 「随身」とは貴人が外出する時に付けられた近衛府の役人のことだが、ここでの「随身」とは異なるだろう。要するに刀剣を身に付けるな、…

「関東新制条々」25−追加法364

25と26はそれぞれ「物具事」「衣裳事」と題されている、いわば細則であるが、細則であるだけに長すぎる。従って何回かに分けて収録する。 一 物具事 上下諸人、蒔絵金銀剣刀并鞍豹皮切付、及銀鐙轡可停止之。於流鏑馬者、非制限。轡者交銀事、中心以下不…

『徒然草』一五三段より

最近のはてブやiza!の出来事に触発されて。 為兼大納言入道召し捕られて、武士どもうち囲みて、六波羅へ率て行きければ、資朝卿、一条わたりにてこれを見て、「あな羨まし。世にあらん思ひ出、かくこそあらまほしけれ」とぞ言はれける。 現代語訳。 (京極)…

「関東新制条々」22・23−追加法361・362

御家人に対する禁制条項。次の追加法363までが360に対応する禁制条項。百姓への負担転嫁を禁じた「撫民」法に属する。 本文。 一 修理替物用途事 一 垸飯役事 両条、自今以後、充課百姓事停止之、以地頭得分、可致其沙汰。又私分同可守此儀。且於垸飯…

「関東新制条々」24−追加法363

続き。361・362と一続きなのでここにまとめておく。 本文。 一 五節供事 充催百姓事、為土民之嘆、自今以後、一向可令停止之也。 読み下し。 百姓に充て催す事、土民の嘆きのため、自今以後、一向これを停止せしむべきなり。 五節供とは人日(正月七日…

「関東新制条々」21−追加法360

「関東新制条々」の中の過差禁制条項。「過差」とはぜいたくなこと。過差による出費が百姓の負担に転嫁させられていることへの対応として過差禁制条項は位置づけられる。今回扱う条文はまさにその一つ。 本文。 一 造作事 右、倹約可止花美也。且非一郭新造…

「関東新制条々」21−追加法359

過差禁制。手紙の問題。 本文。 一 私消息用厚紙事 為世之費、為人之煩、一切可停止之。 読み下し。 一 私の消息に厚紙を用うの事 世の費えのため、人の煩のため、一切これを停止すべし。 私用の通信には厚紙つまり上等の紙を使うことは「世の費え」つまり無…

「関東新制条々」20−追加法358

八朔の贈り物、つまり現在のお中元。 本文。 一 八月一日贈事々 近年有此事。早可停止之。 読み下し。 一 八月一日贈事々 近年このことあり。早くこれを停止すべし。 要するに新しい贈与の習慣は無駄だから停止せよ、ということで、今の言葉で言えば「虚礼廃…

「関東新制条々」19−追加法357

過差禁制の条文の二つ目。 本文。 一 衝重彫牙象外居并檜折敷事 酒宴之時、一切可停止之。 読み下し。 一 衝重彫牙象外居ならびに檜の折敷の事 酒宴の時、一切これを停止すべし。 酒宴の時の過差禁制。 衝重(ついがさね)とは食物をのせる膳の一種で、盆の…

「関東新制条々」18−追加法356

ここから367条までは「過差禁制」つまり御家人に倹約を命じた条文。公家新制においても重要な規定でもあったが、360条から363条までには百姓臨時役を禁止する条文があり、その点においては「撫民法」と考えることが出来る。佐々木文昭氏の『中世公…

「関東新制条々」17−追加法355

「関東新制条々」の中の訴訟関係の最終の条文。佐々木文昭氏の分類によると、この訴訟関係の条文群であるところの349条〜355条は349条が主規定で、訴訟担当者対象の禁止規定が350〜355である、という。 本文。 一 御家人見参并庭中訴訟聴断事…

「関東新制条々」16−追加法354

引付衆の服務規定。引付衆は1249(建長元)年に設置された職で、所務沙汰つまり御家人の所領に関わる訴訟を扱う。訴人すなわち原告は訴状を問注所に提出し。問注所は所務沙汰に関わる場合は訴状を引付衆に送達する。引付衆では論人に訴状を開示したうえ…

「関東新制条々」15−追加法352

引き続き問注所にかかわる条文。裁判の充実は「自力救済」に任せず、弱者の言い分も取り入れようという動きである。裁判の充実は「徳政」の一部分として大きなウェイトを占めている。 前条から裁判の特に庶民の訴訟が取り扱われることの多い「雑務沙汰」つま…