コミュニケーションの非対称性

私のブログは黒木ルールを適用している。「匿名による批判を禁止する」。ここで言う「匿名」とは

・「匿名」であるか否かの判定は実名や電子メール・アドレスを公開しているか否かで行なわれるのではなく、その人が自分自身の考え方や趣味・嗜好に関してどれだけの情報を公開しているか否かで行なわれる。
・論争に参加する人は、馬鹿なことを言ってしまったときに恥をかけるだけ十分に詳しく自己紹介を行なわなければいけない。

と私は定義している。「匿名」の人との議論はどうしてもそのコミュニケーションが非対称性になってしまう、という問題点を持つ。

「匿名」による発言とそうでない発言を平等に扱うことは、「匿名」でない発言者にとって不平等な状況を作り出します。なぜなら、「匿名」の発言者は失敗しても失うものがほとんどないので、普段だったらできないような暴言を吐くことが自由にできるからです。「匿名」の安全圈に隠れていれば、そのような暴言によって受ける被害は大したことがありません。しかし、自分自身の考え方や趣味・嗜好を表現するためにかなりのコストをかけている人 (すなわち「匿名」でない人) はそうではありません。しかも、受けた害と同等の害を「匿名」の暴言者に与えることによって反撃することもできない。このような理由によって、「匿名」による批判をも平等に扱うことを義務付けられた場所における論争に「匿名」でない人は参加し難くなります。

私はブログを開設している。その意味では「匿名」ではない。趣味、嗜好を表現するためにそれ相応のコストをかけている。従って「匿名」の者との議論は基本的に好まない。「匿名」と非「匿名」の間のコミュニケーションの非対称性を厭うからである。
しかし私は実名を公表していない。実名を公表することによるリスクが大きいからである。従って私が実名でブログを書いている人と泥仕合になった時、私のほうがコミュニケーションにかけるコストは小さい。背負っているもの、守るべきものが実名の人に比べて小さい。その意味で実名の人と私との間にはコミュニケーションの非対称性が生じている。だから私はどうしても実名でブログを解説している人に対してはどうしても遠慮が出る。
実名でブログを運営している人が筆名で運営されているブログやブクマの削除依頼を出す、ということが話題となっている。iza!ブログの一つがアカウント削除の処分を受けて話題になっていたし、はてなではブクマの削除依頼が少し話題になっている。
私は削除依頼を出すことを決して支持はしない。削除依頼はやはり相当慎重になされるべきであると思う。しかし削除依頼を出したくなる気持ちはとてもよく理解できる。コミュニケーションの非対称性を考慮してしまうからである。