或る左翼デモ隊の不行跡

左翼活動が後退期に入っていた80年代半ば。天皇在位60周年で少しの盛り上がりを見せたことがあった。そういう時期に反天皇制デモに参加していた私の先輩の体験。
そのデモ隊の警備に当たっていた機動隊はおとなしく、デモ隊に対して暴力行為や転び公妨などを行わなかった。それにつけ込んだデモ隊の一部が機動隊に対して挑発行為を始めた。唾を飛ばして機動隊を罵る。それにも耐える機動隊員。ついに一人の参加者が鼻くそを機動隊員に付けた。その瞬間、さすがに機動隊員もキレた。フル装備の手甲で参加者を殴り倒した。
デモ隊はここぞと挑発行為を繰り返し、さらに集会では「機動隊の暴力により参加者が負傷しました。我々は機動隊の蛮行を断固許しません」とシュプレヒコールが挙げられる。
その中でその先輩は周囲の人たちと話していた。「でもよ、普通殴るよな。鼻くそはだめだろ」と。
その話を私にしてくれた先輩は繰り返した。「機動隊が殴るのは本当はだめだ。しかし、殴るよな、あれは」
確かに機動隊員がデモ隊を殴るのはまずい。しかしそのデモ隊の中にも機動隊の「暴力」に理解を示す人がいたのだ。
「暴力はいけない」「暴力を振るった時点で負け」「暴力を振るうのは粗暴だからだ」「暴力の時点で罵倒とどっちもどっち」
正論を言えばそうだ。しかし私にデモの話をしてくれた先輩は機動隊員に理解を示していた。どう考えてもデモ隊の参加者のやり方は品性を欠く。そのような運動体の末路が明るいはずはない。遠からず人々から見放されて、みじめな末路を迎えるのは歴史の示す所である。先輩もおそらく品性を欠いた所業が、左翼運動全体に及ぼす悪影響を懸念していたのであろう。先輩のその懸念は杞憂ではなかった。
「暴力はいけない」という正論にすがり、品性を欠いた所業を相殺する試みは遠からず瓦解する。相手を口汚く挑発し、挑発に乗った暴力行為を非難するマッチポンプを業とするゴロツキを排除しなければ、その運動体は人々から見放され、その結果周囲から遊離し、カルト化し、先鋭化して内部崩壊をする。これは左翼運動が現代に残す貴重な教訓である。
その先輩は思想的に転向したわけでは決してないが、その後デモに参加することはなくなった。なぜか、といえば、デモの企画がそもそも成立しなくなったのだ。挑発行為を自己批判するどころか、それを英雄的な行為とみなし、挑発に乗せられた側を誹謗中傷する論理は、多くの人々の理解を得られなかったのだろう。