デモ参加の心得

私はデモに参加したことはない。それは私にとってデモへの参加はハードルが高すぎたからだ。私は思想的には完全に左傾化している。私は80年代後半に成人になった。政治に関心を持つのもその前後で、その頃には左翼は後退戦を戦っていた。後退戦を戦うのはものすごい困難を極める。圧倒的多数の機動隊に少数のデモ隊が取り囲まれて下手をすれば全滅をするリスクを背負わなければならなかった。転び公妨によって拘留される危険とは常に背中合わせ。私は誘われたが、とりあえずはぐらかして一切断ってきた。
私が仄聞したデモ参加の心得を記しておこう。
まずは逮捕されないように細心の注意を払わなければならない。イワシの群れと同じで、はぐれると何もしていなくても「転び公妨」によって逮捕されるリスクがある。ちなみに「転び公妨」とは、警察がいきなり転んで「公務執行妨害だ」と叫ぶこと。誰も見ていなければ当事者の証言に基づくことになる。やった、やらないの押し問答。とりあえず逮捕はされる。その後無罪になることもあるが、無罪になっても生活に大きな打撃になる。数日、下手をすれば数週間にもわたって拘留され、送検され、起訴され、保釈金が用意できなければ裁判で無罪を勝ち取るまでは身柄を拘留され続ける。だから間違っても逮捕されてはならないのだ。以前述べた鼻くそ君が逮捕されなかったのは周囲に人が多かったので逮捕しようにも逮捕できなかったのだろう。あるいはその頃には機動隊もあまり手荒なことをしないように、という方針に変わっていたのかもしれない。しかし機動隊の方針が穏健化しようとも、逮捕されるリスクは存在する。だから本来は警察を挑発する、というのはあってはならない行為なのだ。鼻くそを付ければ逮捕されても文句は言えないだろう。実際には公判維持が難しいし、その前に機動隊がキレて殴ってしまったために逮捕どころではなくなったのだが。だから機動隊員がキレて殴ってしまったのは下の下策だったのであり、難癖をつけて逮捕すればよかったのだ。少なくとも彼は数日間拘留されてしまっていただろう。だから左翼運動が盛んで機動隊と張りあえる勢力があれば、殴りあおうが鼻くそ付けようが、遭遇した右翼のデモ隊の張り紙を破ろうが安全だが、後退戦を戦っている左翼のデモ隊にはそんな余裕はない。鼻くそを付けたり、殴りかかったり、右翼デモを挑発すれば相当なリスクを負う。行儀よくせねばならなかったのだ。
次に不幸にも逮捕された場合だが、身元を知られてはならない。だから学生証や免許証など、身元が特定される可能性のあるものを身につけてはならない。身元を知られると、あらゆる嫌がらせを覚悟しなければならない、と言われていた。実際にどれだけの嫌がらせがあったのかはわからないが、そういう言い伝えがなされていたことは事実だ。例えば私が今逮捕されたとしたら、私の勤務先に嫌がらせのがさ入れが行われる、とか、実家にもがさ入れが行われるとか、その後は住所に公安警察が定期的に訪問してくれる、とかだ。引っ越すたびにやってきてドアの前で呼び鈴を押さずに大きな声で「○○さん、公安です」と叫ぶそうだ。この人物は公安のお尋ね者、という印象を植え付ける為だ。これは知り合いから体験談を聞いたので本当のことだろう。その人のところには十年以上やってきて、大学の助教授に就任した時には「うまく逃げやがったな」と悪態をついていったようだが、いつの間にか来なくなって、引っ越した時にも来てくれなかった、「僕も落ちぶれたもんだよ」と嘆いていた(笑)。
これは大学の教員だから本人は結構公安の訪問を楽しんでいたのだが、これが普通の仕事だったら大事だろう。私は困る。私だって逮捕されるようなやばい塾講師に子どもを預ける気持ちにはなれない(笑)。進学塾に子どもを預けるのは受験に通るためであり、一本筋の通った思想を身に付けるためではない。
捕まった時には弁護士を呼んでほしい旨を伝え、あとは黙秘すべし、ということだ。当然デモの前には弁護士に連絡を取って置く必要がある。というか、逮捕者が出た時にすぐに動いてもらわなければならない。デモの時にはそこまで手配をするのだ。もちろんデモの時から弁護士にはついてきてもらう必要があるし、つねに弁護士に守ってもらう必要がある。共産党系ならば、共産党の弁護士が付いてくれる。問題は共産党系ではない「ノンセクト」と呼ばれる人々だ。分かりやすく言えば無党派のデモ隊である。こういうデモの弁護を依頼してくれる奇特な弁護士は多くない。この当たりがなければ安易にデモを組織するべきではない。デモ参加者の安全を第一に考えるのがデモを計画するものの最低限の責務である。
私はこういうリスクを背負ってまでもデモに参加する根性がなかった。私がそういう話を聞いたのは一回生の時。天皇在位60周年を迎えて最後の盛り上がりを迎えていた時だった。その後はXデーなどのデモの機会もあったのだが、デモの企画そのものが成り立たなくなっていったのだ。ハードルが高すぎた。
今、デモに気軽に参加する人が結構いるようだ。長野市で西宮市で蕨市で。逮捕される覚悟はどれだけあっただろうか。逮捕された時の手配は出来ていたのだろうか。弁護士が接見してくれる手配はなされていたのだろうか。目に入るのはお気楽な気持ちで参加して逮捕されている例だ。まさか自分が逮捕される、とは思わないのだろう。反天皇制ならば逮捕される覚悟はできるだろう。しかし例えば西宮の反自衛隊幹部のデモで自衛隊の幹部の自宅に押し掛けるのは左翼ならば一網打尽、という覚悟で赴くだろう。官舎に立ち入ったり、マンションの共用部分に立ち入っただけで逮捕される時勢だ。心の底では「自分は体制派だ」という甘えがあればこそ、自分の名前を思いっきり出してそれを行ってしまったのだろう。蕨市の場合は統制が取れていなかったのではないか。自分の思想信条に反するデモ隊に対して挑発行為を行ない、剰え装備を損ねて逮捕、というのは下の下策である。デモの主催者の危機管理の甘さが露呈している。反差別、という大義名分におぼれて、緊張感を失っていたのだろう。長野市の場合も「会社員」が逮捕されていたが、仕事がなくならないか心配だ。名前が新聞に出ないように弁護士を手配しなければならない。それが出来ていなかったことは、これもデモの主催者の危機管理がなっていないことを如実に表している。デモをするのは本来国民の自由な権利であるべきであり、そんなに高いハードルを設定しなければならない、というのは間違っている、というのはその通りである。私ももっとお気楽にデモに参加する世の中にあるべきだ、とは考える。しかし悲しいことだが、理想論を語る前に自分の身を守らなければならない。
もちろん安全に配慮され、安心して参加できるデモも多い。ということを付け加えておきたい。だから悲観的になる必要は決してないが、リスクはある程度認識した方がいいだろう。このエントリはそもそもが「反天皇制」というかなり特殊なデモに即した体験談であることも付け加えておく。
追記
トラックバックをいただいた。拙論の不十分な所が是正されている。是非併せて読んでいただきたい。