私は忙しい(笑)

私はときどきApemanさんやhokusyuさんらと意見のやり取りをする。これは事実である。その私が何か言ったら、Apemanさんやhokusyuさんの文脈でものを言ったとレッテルを貼られる。言っている内容はむしろネトウヨ臭ただよう内容なのだが。だからこそ「左巻きの連中もその実人間だったという話」という評価も出てくるのだろう。私は今回のことでかつてsirokazeさんという「ネトウヨ」が私について言及した内容を思い出す。「この人はサヨクからネトウヨと罵られる日が来るだろう」と、私を危惧してくださった。sirokazeさんの炯眼に敬服する他はない。
内容はむしろネトウヨ臭ただよう中身で、今ApemanさんやhokusyuさんがNaokiTakahashi氏ともめている内容とは周回遅れどころか、一切無関係な議論に「Apemanさんとhokusyuさんの周りで党派的にものを言ってる人たち」というレッテルを貼り付ける行為はそれこそが極めて「党派的」である、という事実に鈍感なのだろう。
今回私がApemanさんと関係があったのは曾野綾子氏批判の文脈で「携帯電話を使っていて事故に遭うのは社会が悪いと主張するわけか」として曾野氏を擁護する意見があり、それに対してすごいな、というブコメを残したら、Apemanさんが「自転車の鍵もいましたよ」といい、そこに「拉致被害者を誹謗中傷した奴らが何を」というような、当方としては身に覚えがない論難をふっかけられたので、私は火の粉を振り払おうとしたら、Apemanさんも当然に自らにふりかかった火の粉を振り払っていた、というだけの話であった。もう一つの接点は「親御さんが娘さんに『鍵かけてる?』というのは有効であるから、『鍵かけ』論は有効だ」という趣旨の話に対して「だれも親御さんが娘さんに『鍵かけてる?』を批判していないでしょ」と指摘したらApemanさんから批判された、というものである。基本的に私はApemanさんやhokusyuさんの周り」での発言に関しては、周回遅れどころか、そもそも同じトラックに上がる気すらないのである。「Apemanさんとhokusyuさんの周りで党派的にものを言ってる人たち」という指摘は的外れである。
このような属人的発想でものをいう人と議論をしても仕方がない。とにかくその人がうざいのであって、その人が何を言おうと、その人を批判することができればそれでいいのだから。「Apemanやhokusyuと仲のいいWallersteinはむかつく」以外のメッセージを私は読み取ることが出来なかった。その伝で言えばsirokazeさんやmiracleさんと仲のいい私は「ネトウヨ」だろうし、fuku33さんやSokalianさんと仲のいい私は反はてサレジスタンスの一員だろう。それとも私は内容から見れば「ウヨサヨブロガー」の中の「ウヨブロガー」だったのだろうか。Apemanさんやhokusyuさんをお花畑サヨクと罵るネトウヨとして私がNaokiTakahashi氏の目に映ったとするならば、それは仕方がないかもしれない。私はほとんどサヨク的な発言をしていない、という現状はあるし、私はしばしばネトウヨ的な発言をApemanさんやhokusyuさんにたしなめられることはある。