出来の悪い小学生の言い訳

「何でそう思うんだ」
「みんながそう思っているからです」
「僕にはそう読めたからです」
こういう論理的思考の苦手な小学生は実在する。これでは困るので根拠を問われれば具体的に論拠を出すように指導する。自分の感じたことがそのまま結論になるのは、論理的な思考ができないことを示している。作文を課する中学校はそういうところをみている、はずである。しかし実際の作文教室などの添削をみているとひどいもので、「私はこう思いました。だからこうです」というのが見逃されている。それどころか自分がそう思ったことをそうだと無根拠に結論に持ってきても「素直に自分の言いたいことが書けました」と褒める。これではだめだ。これでは優劣はつかない。結局添削者の好みになってしまう。学校ならば教師の好みに合わせた作文を書けば点がいい、ということになる。
少し前の話だが、小レポートを課していた。ある留学生がレポートを持ってやってきた。「私、日本語開講科目とるのはじめてなんですけど、これで大丈夫ですか」とたどたどしい日本語で不安そうにレポートを差し出す。一読して主張と根拠がわかった。「大丈夫ですよ。よく書けています」と言った。次に持ってきた日本人学生。これはひどかった。何回読んでも分からない。結局主張と論拠が自分でも分けられていないからだ。「僕はこう思う。だからこうだ」「ここにこう書いてあった。だから私はこう思う」これでは根拠にならない、という基本的なことを教わっていないのだろうな、と思う。どこでそういうのを教えるべきなのか、というのは難しい。私は大学受験指導のときに小論文対策講座を受けて学んだ。