国母和宏選手の服装について

この意見に同意(http://www.taro.org/2010/02/post-716.php)。
特にここら。

不愉快に思ったり、だらしないと思ったりというのはその人の価値観であり、誰かの価値観にあわないから処分するというのは、私的な集まりではともかく、オリンピック代表団のような公の場では行えないはずだ。公の場での処分は、明確なルールに違反しているときでなければいけない。

ルールは守らなくてはならない。しかし、価値観は多様だし、多様であるべきだ。ルールで定められていないことについて、後から価値観を理由に、公の場で処分するのはいかがなものか。
しかも批判が多く寄せられたから、公式な応援を取りやめるとか、誰かが不愉快に思ったから行事に出席を自粛させるというのは、対応としておかしい。

漫画家のやくみつるさんが「本来、制服を着崩すことがよくないのに、学校では恒常化しており先生がとがめることもない。この風潮に待ったを掛けるためにも、国母選手は本国に召還すべきだ。」と発言されている。日本相撲協会外部委員でもあるやくさんの気持ちはよくわかる。
しかし、学校で恒常化している着崩しを止めるために、国母選手を処分するということがあってはならない。処分はルールに違反したから処分されるのであって、誰かの価値観にそぐわないからと処分をしてはいけない。

価値観とルールを勘違いしていることが、やくみつる氏をはじめとする国母選手批判に通有の(というか、よく見られる)問題である。(国母選手の着こなしや態度が不愉快、という批判それ自体は有り得べき批判ではある。問題はそれを「ルール」として考える点にある。国民を代表しているのだから、という批判も、これはこれで論ぜられるべき問題ではあろうが、ここではとりあえず置く)
まあ私自身国母選手の着こなしやあとの会見の「ちっ、せ〜な。反省してまーす♪」に不快感を持った側なのだが、これは私の価値観であって、それ以上ではない。しかも河野氏が指摘するように「批判が多く寄せられたから、公式な応援を取りやめるとか、誰かが不愉快に思ったから行事に出席を自粛させるというのは、対応としておかしい」これは日本社会の現在の状況をよく示している。いわゆる「自粛」問題である。
やく氏の問題点は、一罰百戒を期待して、ルールに逸脱した罰を下そうとしている点にある。「学校で恒常化している着崩しを止めるために、国母選手を処分するということがあってはならない。処分はルールに違反したから処分されるのであって、誰かの価値観にそぐわないからと処分をしてはいけない」という河野氏の指摘に同意する。