京阪1900系を仕上げる

鉄コレの京阪1900系を仕上げた。テレビカーのアンテナと列車無線アンテナ、シールなどの貼り付け。台車もアルストルムの小田急のコイルバネ台車ではなく、京阪のKS70シンドラー型空気バネ台車。阪急2800系の2814Fも同じ台車を履いている。動力車はKS70を切り出して貼り付けるか、と思ったが、少し似ている台車で手を打つ。

住宅地の間を抜ける1900系。

神社の裏を走る1900系。

アンテナを見る。生駒山にある送信所から電波を受信するが、アンテナを常に送信所の方に向けるために1800系まではアンテナを回転させていたが、1900系では二本載せて、電波の強い方を自動受信する方法に切り替えられた。そのため2本のアンテナを載せている。
相変わらずはてなフォトライフは挙動不審。本来のとは異なる画像がうpされている。一番上の写真はもっと横から撮った写真のはずだ。
2両編成で、これ以上の増結は不可能。勝手に話を作り上げると、京都電燈が叡山本線に続いて鴨東線を開通させた、として、三条と出町柳の間で京阪電鉄京福電鉄叡山本線の直通運転が行なわれている、という想定か。計画ではデオ300を使って中書島まで、京阪は八瀬遊園と岩倉までそれぞれ運転するはずだった、とか(ウィキペディアより)。実際には1900系は乗り入れ対象だったのかどうかすら知らないが、例えば休日に八瀬遊園直通の京阪特急が運転された、という想定も悪くないな、と。三条から京都より2両を切り離して八瀬遊園まで乗り入れさせる。京福電鉄乗り入れ対応の改造を受けた1922−1923編成(シールをそれにしたが、実際にこの2両が編成を組んだかどうかも知らない。かなり柔軟に組み換えが行われていたらしいが)が充当され、淀屋橋ー八瀬遊園直通特急として運用された、という感じかなぁ、と。
横から見た写真。一部京阪バスが映っている。

ちなみに映っているのは全部動力車ではない方。動力は富士急2220型に入れていた18m級を転用している。富士急2220型は17m級の車体に入れるためにスペーサーを一番小さなものにしているが、京阪1900系は18m級の車体なので、一番大きなスペーサーを入れる。動力台車はどうせKSー70などないから、適当に入れた。こだわる人は台車枠を切り離してゴム系接着剤で付ければ何とかなると思う。阪神急行920系はそれでうまくいっている。数年間経過しているが、まだ脱落していない。