南部氏と斯波氏

八戸南部家に関わる文書を読んでいて、はたと困った事態が出てきた。入間田宣夫氏と私の解釈が違うのだ。まあそれならば別にいい。普通に考えれば入間田氏が正しくて、私が間違えている蓋然性が極めて高いからだ。しかし私の解釈が『青森県史』と一致したとなると面倒だ。つまり『青森県史』か入間田氏かどちらかが間違えていることになるからだ。しかもお互いがその根拠を示さず、結論のみを示しているので、どちらが正しいかを判定することもできない。
要するにある文書の発給年の推定が両者で異なるのだ。そして発給年のずれによっては入間田氏の議論が成り立たなくなる。
私にとってはどっちでもいい。むしろ入間田氏が正しい方が都合はいい。しかし私は『青森県史』の意見に従いたい。しばらくこれについて考えてみる。