史料操作の問題

甲という史実が記述された二つの史料がある、とする。
Aという史料は甲という事件が起こった時代の中央政府の中枢におり、この事件ともかかわっている政府要人の残した日記である。
Bという史料は甲という事件が起こった数百年後に、甲という事件の起こった地域に精力を張っていた地方権力の要人が記した歴史叙述である。
Bの著者がAを見たということは考えられない。
問題は甲という史実が起こった年代がAとBで十年近いズレがある、ということである。
さあ、どう考えるべきだろうか。
普通に考えれば、甲という事件が起こった事はまず間違いないとして、Bの年代が誤っていて、Aの年代が正しい、と考えるだろう。ところがある業界ではそうではないのである。
どう考えているか、と言えば、甲と言う事件が二回起こっている、と考えたのである。AとBの矛盾を解消するために、ひねり出された解釈が、Aにおいて起こった甲という事件のあと、中央政府は強力に介入し、事件を解決した。しかし約十年後に再び甲という事件が起こった、と説明するのである。Bという史料に載せられた人名が全てBにおいて甲が起こったとされる年代には死去しているにも関わらず。
なぜこんなことが起こったのだろうか。断っておくが、この業界はれっきとしたアカデミズムの世界である。これはアカデミズムの世界で起こっている話である。トンデモではない。しかしこう簡略化すると、トンデモにしか見えないのだが、この手の主張をしている研究者には一流の研究者が多く名前を連ねている。おかげで私にはトンデモにしか思えないこういう解釈が通説として流布しており、それに対する批判が全く見当たらない。これはこの業界の大いなる喜劇であり、悲劇でもある。
なぜこんなことになったのか。私はAとBの両方の史料に通じた研究者がいないことにあると思っている。Aに通じた研究者はBについて通り一遍しか見ていない。Bに通じた研究者は、Bしかその業界における史料が存在しないためにBの信頼性をとにかく主張したがるとともに、難解とされるAについてきちんと読もうとしない。かくて史料操作の基本を忘れ去ったようなずさんな史料操作がまかり通るのである。