対訳『椿葉記』

恒例の尻切れトンボシリーズw
伏見宮貞成親王が実子の後花園天皇に奉った著書。崇光院流に生まれ、後光厳院流の後小松上皇の猶子として即位した我が子後花園天皇に崇光院流の歴史と、自分に太上天皇号を欲しいという希望と、天皇としての君徳の涵養の必要性を説いたもの。
底本は村田正志『證註椿葉記』宝文館、1953年によった。古本屋で三千円弱で入手。値段の安さは蔵書印が効いたと思う。蔵書印を捺さないことを人生の教訓として生きていこうと思う。村田本は三種類の貞成自筆の下書きを元にしたものでほぼ決定版と思われる。そこに安直に入手できる群書類従版を参考とした。こちらは図書館でコピー。

人皇始りてより、其御子孫の代々にうつりかはらせ給ふ御有さまはいそのかみふるき物語どもにみえ侍るうへ、家々の日記にもしるし侍ればおぼつかなからず。近代の事崇光院より比かた、我一流のすたれつるありさまは、世の人の註すべきにもあらねば、難波のよしあしにつけて、入江のもくづかきをく跡は憚あれども、心の水のあさきにまかせて、こと葉の花をもかざらず、ただ有のままに思ふ事の数々を君の叡覧にそなへむためばかりにしるし付侍る也。

人皇」は神代の対義語で神武天皇以降のこと。「いそのかみ」は古いの枕詞。「いそのかみふるき物語」とは古事記や日本書記のことかと思えば、実は栄華物語と四鏡のこと。古事記や日本書記が日本人の古い姿を表した歴史書というのは国学の発想で、近世末期に登場する観念。平安から室町時代の古き良き時代とは平安時代中期のことである。「難波のよしあし」以下のところはダジャレか、と言いたくなる。葦(よしともあしとも読む)の名所であった大阪湾にかけているが、いいたいことは「よしあしにつけて」の部分のみ。以下「入江のもくづかきをくあと」も「書き置く」が言いたいだけでそこに「書く」と藻屑を「掻く」をかけている。その点を考慮しつつ意訳すると以下のようになろう。

神武以来の天皇家の歴史は栄華物語や四鏡や家々の日記にも書いてあるのではっきりしている。近代の崇光院以降の崇光院流の衰退の歴史は世の中の人が註すこともできないので、よしあしにつけて、書き置くことは憚りがあるが、自らの心に合わせて言葉を飾らず、ありのままに思っている事の数々を天皇(筆者の実子の後花園天皇)の叡覧に供えようと書き付けたのである。