対訳『椿葉記』2

崇光院は光厳院第一の皇子にて、後嵯峨院以来皇統にてまします。御在位わづかに三年、天下乱て観応二年十一月七日南朝より取奉て御位を廃す。同十二月廿八日太上天皇の尊号を奉らる。此日、光明院にはかに御出家あり。御発心ときこゆ。其後伏見の法安寺にて禅衣を著しまします。長谷寺の御庵に御隠居あり。

観応の擾乱と正平の一統により南朝方が京都を制圧し、崇光天皇は位を引き摺り下ろされ、一応太上天皇となった。

崇光院は光厳院の第一皇子で、後嵯峨院以来の皇統を継いでいらっしゃった。御在位わずかに三年で天下が乱れて官能二年十一月七日、南朝によって位を廃された。同十二月廿八日太上天皇の尊号を奉った。この日、光明院は突然出家なさった。仏道の心に目覚めたという。その後伏見の法安寺にて禅衣を着された。長谷の庵に御隠居になった。