対訳『椿葉記』26

さて内裏は七月の末御悩俄に大事にましまして、すでに崩御の由披露あり。儲君の御こと内々沙汰ありて、君の御事世には治定のやうに申めり。さる程に不思議に御とりのべありて、次第に本復まします。此御願に卅四年の冬八幡・賀茂両社の行幸あるべしとて、世のいとなみにて既に日次も治定の処に、又御悩再発ありて行幸もとまりぬ。

内裏-称光院。応永32年7月25日、トイレで倒れているところを発見された。物の怪を見て倒れた、とのことで、村田正志氏は「精神上の御いたつき」とし、「当時紛糾した皇統問題に心神を労せられたことも大きな原因であらう」としている。
儲君の御こと-伏見宮貞成親王の子の彦仁王が有力な皇位継承者であった。その頃幕府より彦仁王の年齢について問い合わせがあり、幕府では彦仁王に決めていたのであろう。
御とりのべ-取り延ぶ、つまり延ばす。この場合は持ち直した、くらいの意味だろう。

さて、内裏は七月の末に突然ご病気が重くなり、すでに崩御という知らせがあった。皇太子のことは内々に沙汰があって、彦仁王即位のことは世間では決定したかのように申していた。そのうちに不思議に持ち直して、次第に本復なさった。この御願に応永三十四年に石清水八幡宮賀茂社行幸をしようということで、日程も決定していたところに、またご病気が再発して行幸も中止になった。