補習塾増補

前回ガッシュさんより以下の体験談をいただいた。

『私が働いていたところは個人でやってるところで、規模は小さく、学生バイトは一人もいませんでした。一年目に受け持ったクラスは生徒数二人。二年目は五人でした。クラスは学力で分かれているのではなく、学校で分けておりました。』
『(やる気のあるのは)男子に一人だけ。もう一人の男子は半分は休んでました。女子三人は教科書持ってくることもめったになく、メールとおしゃべりをひたすら続け、たまに「違う科目」の勉強をしておりました。』

こういうのってつらいんだよなぁ。金原克範『子のつく女の子は頭がいい』(洋泉社、一九九五年)にも体験談があった。うるさい生徒がいて、彼女らを静かにさせるために抜き打ちテストで悪い点を取らせて、説教をかました。彼女らは涙ぐみ、心を入れ替えたかに思った。しかし親からの抗議で、そのテストはできなくなり、彼女らはまた騒ぎはじめた。塾の経営者も退会されたら困るので、親の言うことを聞くしかない。少数のまじめにやっていた生徒は結局塾を止め、志望校に合格、残った生徒はみんな落ちた、という話。結局小規模の塾だと、ひたすらメールとおしゃべりを続ける生徒でも、退塾させるわけにはいかないのが苦しいところ。
ちなみに下のコメントにも書いたが、明らかに補習塾。学校別に分かれているのは、学校のカリキュラムに合わせるため。もしこれが総合塾ならば、やはり学力別に分ける。学校の授業で分からないところを補習させるための塾。中学生の場合、学校の成績が即内申書という形で高校受験にも影響を及ぼすので、そういった意味では前回考察した補習塾とは少し毛並みが異なる。小宮山博仁氏は『塾の力』(文春新書、一九九九年)において、私が「補習塾」として考察した塾を「救済塾」として分けている。その方がいいかなあ。ガッシュさんが行って居られたような塾を小宮山氏は「補習塾」として分類している。
ちなみに「教科書持ってくることもめったになく、メールとおしゃべりをひたすら続け」という生徒に勉強をさせる方法は・・・ない。塾講師の限界を感じる瞬間です。それを学生(ですか?ガッシュさん)の時に体験したガッシュさんは気の毒としかいいようがない。そういう生徒について前出の小宮山氏はEQの低さ、としていました。これについてはまた稿を改めて。