変な季語

みつるさんとyuukaさんの発案で始まった企画です。
本日はシャボン玉。春の季語、というのはyuukaさんのご教示で私も知りました。ご教示ありがとうございます。調べました。三春、つまり春全体を通じた季語です。どうもイメージ的なものが大きいようで、季語とはそんなものらしいです。中には「日本人の血に埋め込まれた」などと寝言を言っている本もありますが、無視。教育の効果です。日本人だから季語が分かる、ということはあり得ません。もしそうなら私は苦労しません。子供に季語及び季節感を教えるのに悪戦苦闘しております。
愚痴はさておき、句を見ておきましょう。
姉ゐねば おとなしき子や しやぼん玉  杉田久女
「姉ゐねば」姉がいないので、という意味。已然形です。中学校で習うよね?
「おとなしき子や」切れ字「や」があります。ここが感動の中心。おとなしい子供だなあ、ということで、姉がいないのでおとなしい、ということは、姉がいないので、寂しく一人遊びをしている、ということでしょう。
「しやぼん玉」季語、三春。基本的には「おとなしき子」が遊んでいる遊びを指している、と考えてよいでしょう。
Wallerstein的解釈。「姉がいないのでさびしいのか、おとなしいな。シャボン玉でずっと一人遊んでいる」
入試レベルでは。俳句の観賞をもう少し本格的にやろうと思うならばもうすこしひねらねばなりません。学校で学ぶ場合にはこんなに即物的な解釈では先生に呆れられるでしょう。ちなみに私は幼稚園年少組のころ「ポケットの中にはビスケットが一つ、ポケットを叩くとビスケットが二つ(以下略)」という歌について、感想を求められて一言、「割れてるんとちゃうの」と言って幼稚園の先生に「夢がないねえ」と呆れられました(爆)。