がり勉という幻想

上にも書いたが私は体育が(というよりも、も)全くダメだった。がり勉だったわけではない。実はがり勉というのを私は見たことがない。体育が出来る人が勉強が出来るわけではないが、勉強ができる人は体育が出来る。体育抜群・勉強ダメもいれば、体育抜群・勉強抜群もいるが、小学校においては勉強抜群・体育ダメというのは、きわめて例外的である。というのは、小学生から勉強が出来る、というのは基本的に器用である。器用な人は体育をそこそここなすものだ。私は不器用だった。だから体育も図画工作も勉強もだめだった。こういう手合は待たなければならない。結果を急ぐと多分つぶれる。まあ、例外もあるが。