頭のいいこと・勉強が出来ること

会話1
「道真ちゃんって頭いいねえ。」
「なんで?」
「だって、勉強できるじゃないか。」
という会話。よくなされますね、多分。
会話2
「菅原さんのお子さんの道真ちゃんて頭いいよね。お父さんのも頭いいからねえ。やっぱり頭って遺伝するのよね」
なんてこと、言っていませんか?
これらはウソです。気をつけましょう。
まず会話1から。これは「頭がいいこと」と「勉強が出来る」ことを混同しています。「頭がよくて勉強が出来る人」というのは確かにいます。そして「頭が悪くて勉強が出来ない人」も確かにいます。しかし実は「頭が悪くて勉強が出来る人」も「頭が良くて勉強が出来ない人」もいます。
「頭がいい」というのは、「身体能力が高い」と同じようなものです。一口に身体能力がいい、といっても様々な要素がありますよね。勉強が出来る、というのはそのうち、例えば野球が上手だ、という位の意味しかありません。身体能力でいえば、例えば人をどつき倒す、失礼しました、殴り倒すという能力は学校では評価されません。「不良」とか、「DQN」とか「尾崎豊」とかとして処理されます。同様に頭の能力でいえば、電車の形式を片っ端から覚え、さらに一両一両の違いを事細かに覚える能力も学校では評価されません。「変人」「オタ」と処理されます。注意しましょう。ちなみに人をどつき倒す、失礼しました、殴り倒す能力はボクシングや尾崎豊の「卒業」など、社会に出れば有望ですが、電車を一両一両覚える能力は何の役にも立ちません。ご注意下さい。
要するに、何が言いたいかといいますと、「勉強が出来る」というのはあくまでも「頭がいい」の一部門でしかなく、しかも厳しいことを言いますと、人間の頭にはそんなに差はありません。
会話2について。これもウソです。頭のよさはある程度遺伝するかもしれませんが、実際はあまり個人差はない、と言われております。しかし次の会話はウソではありません。
会話3
「菅原さんの子供の道真君って勉強できるよね。あそこお父さんも文章博士だし、しつけがいいもんね」
わかりますよね。「しつけ」なのです。勉強できる子はおおむねしつけが出来ています。「えっ、おれはしつけ悪かったけど、勉強できたよ」という人もいるかもしれません。そのような例外はあります。しかその多くは実は自分が思っているほどしつけが悪くなかったりしています。自分で自分のことを「しつけが悪い」と認識できる人間がしつけが悪いわけがありません。もしくは自分で思っているほど勉強はできていないかもしれません。大半はそのどちらかのパターンです。そしてごく稀に「しつけが悪くて勉強できる人」がいるのですが、宝くじをかって三億円当たるほどの確率しかありません。多分。
そのしつけも、「挨拶をする」とか「箸を正しく持てる」というのもありますが、それは大したことではありません。まして「好き嫌いをしない」というのも少し違います。良い人柄、というのとも違います。いずれも人として大事なことですが、そしてそういう人の方が有利なのも事実ですが、私はどれも出来ておりません。まあ、勉強の方も微妙なところですけど。
「勉強ができる」とはどういうことでしょうか。「勉強が出来た親の子は勉強ができるケースが多い」のはなぜでしょうか。「親が勉強をできたからと言って、子は勉強できない」ケースが存在するのはなぜでしょうか。「勉強の出来ない親から勉強のできる子が生まれる」のはなぜでしょうか。いずれも理由があります。それを次回述べたいと思います。子供を「勉強のできる子」の育てたい人は必見です。ちなみに人間性とはほとんど関係がないので、子供が勉強できなくても構わない、と言う人には得るところはありません。ちなみに残酷なことを言いますが、勉強できても何も得なことはない、と覚悟しておいて下さい。これは私はいつも年度の始まりに子供に言い渡しています。だから私は子供たちに「勉強しなさい」とは言いません。受験専門塾だけど。勉強するのは純粋に自分の知的好奇心を満たすため。それだけです。受験専門塾だけど。