勉強が出来るということ

4番目、忘れ物が多い。
私は忘れ物王者でした。今でもやらかします。教科書を忘れることもあります。慌てません。リスクマネージメントは万全です。スペアのテキストを塾に置いてあります。忘れてもノープロブレム。ところが小学生は学校に教科書を置いて帰ることは許されません。大体置いて帰っては宿題が出来ません。ちなみに私が通っていた米国の小学校はテキストは学校に置いて帰る決まりでした。宿題は存在しません。そのせいでしょうか。私は忘れ物では苦労しました。米国に行く前から忘れ物でいつも怒られていた、というのは秘密です。
忘れ物をするメカニズムを考えれば、忘れ物をする生徒が成績が振るわないことは容易に理解できます。忘れ物をするのは、端的に言えば、勉強をする気構えが出来上がっていないからです。例えば「今日は○○か」と思えば、自然に教科書を入れます。そういうことを考えずに授業に臨むという受動的な姿勢では、成績が上がるわけはありません。
塾生にもいますが、「お母さんが入れ忘れた」とぬかすヤツ。「お母さんが」ちがうやろ。自分でやらせましょう。親が用意してやる、というのは確実に子供をスポイルします。このような受動的な子供が成績が上るとは思えません。
5番目、整理整頓ができない。
私です。これだけは今でも全く出来ません。
アメリカでは現地の学校に通っていたのですが、実はそんなに困らなかったのです。しかし整理整頓には困りました。「机の中に何でもかんでも突っ込むのは日本の習慣なのか」とマジで先生が問い合わせてきたそうです。アメリカは移民の国ですから、出身国の習慣を重視します。介入しません。従ってもし机の中に何でもかんでも突っ込んでくしゃくしゃにするのが日本の習慣ならば、彼らはそれを尊重します。もちろん日本にそんな習慣はありません。
日本に帰国後はまた困りました。プリントが多いのです。机の中はパンパンです。持って帰れ、という至極まっとうな指摘は却下。それができれば問題ありません。で、机の中に教科書を入れるスペースはありません。私は何をしたか、というと、机の横に置いてあるカバンの上に教科書とノートを置きました。あとで片づければいいや、という思考です。「置きました」と書きましたが、それは私の主観です。先生から見れば「手で払いのけた」ように見えたようです。先生の視力に問題があるわけではありません。客観的には払いのけたのでしょう。あくまでも私の主観は「置いた」のですが。先生は親に問い合わせました。「アメリカの学校では机の隣にバスケットでもあって、そこに落とすのか」と。私の担任の先生は人権を重んじる人で、生徒に影響を及ぼしてきたであろう異文化を尊重するべきだ、と考えての問い合わせでした。もちろんアメリカにそんな習慣はありません。以上、日本とアメリカ両国の評判を一人で落とした小学生の話でした。
整理整頓が出来ない人のメカニズムはまだ解明されておりません。私的には。もし解明されていたら、私が今いる場所ももう少しきれいでしょう。私の書斎は五畳半のごみ箱と化しております。だれか私を助けて下さい。
もっと捨てるべきでしょうね。捨てることが出来ない人は整理整頓が出来ません。捨てることが出来ない、ということは、物事に順位を付けることが出来ない人です。物事を順序立てて進めることが出来ない人が、勉強できるとは思えません。それは私です。誰か私を助けて下さい。
あとキーワードがありましたね。「あとで片づければいいや」です。こういうことを考えるヤツは大事な仕事に限って「あとで○○すればいいや」と後回しにします。結果困るのは自分です。性懲りもなくそういうことを続けている人が、学校制度に対応できるとは思えませんし、社会人としてもどうかと思います。それは私です。誰か私を助けて下さい(号泣)。