勉強をする、ということ

勉強は一生するものです。誰でもするものです。
例をあげましょう。阪神ファンだと仮定します。野球に興味があろうとなかろうと、ソフトバンクファンであろうと読売ファンであろうと、阪神ファンの仮定で話を進めます。
阪神ヤクルト戦とします。何となく。先発は下柳剛とします。何となく。六回表。ツーアウト満塁。阪神一点差でリード。バッター古田敦也、とします。ここで漫然と古田の打球が左中間に飛んで行くのを見るのも、別にいいのですが、阪神ファンは全員が監督であり、GMであり、オーナーですから、脳内で継投の組み立てなんかをやっていたりするものです。球場にいたならば、「ピッチャー交代や!」なんてやじも飛ぶでしょう。ここで「金沢出せー!」と叫んではいけません。もし叫んだとしたら、甲子園球場五三〇〇〇人の観客は一斉に凍りつくでしょう。そうです。金沢健人投手は右ひじ手術で今期ほぼ絶望です。ブルペンにいるわけがありません。こういう事態を避けるために、当然阪神ファンは誰がケガしているのかをチェックする必要があります。
阪神ファンももちろん勉強をしている人ばかりではないのは当然です。和田豊内野手引退試合(二〇〇一年一〇月一日)に行きましたら、私の前に座っているジジイ、失礼しました、おじい様が「井川慶−カツノリ」というバッテリーを見て「今日はあかん」と声を上げていました。そしてちょっとでもランナーが出ると「キャッチャーが悪いとダメや」と大声でほざいて、失礼しました、叫んでいらっしゃいました。じじい、首絞めたろか、失礼しました、おじい様、お首を絞めて差し上げましょうか、と思いました。勉強すれば、お首を絞めて差し上げたくなるようなやじを飛ばすこともないわけです。このシーズン、井川慶投手は前半は山田勝彦捕手、後半はカツノリ捕手とバッテリーを組むことが多かったのです。なぜか正捕手の矢野輝弘捕手は井川慶投手の時は外れていました。そのことをきちんと押さえていれば、「キャッチャーが云々」という言葉は出なかったでしょう。ちなみに昨年に井川がノーヒットノーランと達成した時の捕手は野口寿浩捕手です。矢野と井川は相性が良くないのかもしれません。結局その試合は巨人が華を持たせてくれたおかげで、井川が巨人打線を完封しました。和田の引退試合ということだったのでしょうが、じじい、もといおじい様は「やっぱりピッチャーがええとちがうなあ」とぬかして、おっと、おっしゃっていました。キャッチャーはどうやねん、と思いました。
最近は少しばかり強くなったので楽しみ方も変わりましたが、昔弱かった時代のファンの楽しみ方として、補強をどうするか、というのがありました。FAしそうな選手を片っ端からリストアップして、阪神に来た場合のオーダーを考えるのです。片岡篤史金本知憲はかなり噂は高かったですね。彼らは元いたチームにかなり不満があったという情報がありましたので。こういう楽しみも、かなりの勉強を要します。
つまり何かを楽しもうと思ったら、勉強するわけです。勉強のうち、ほんの一部が学校で学ぶことなのです。国語などは、かなり学校で学ばない勉強にも役立ちます。例えば今のような情報を得るのにはスポーツ新聞をチェックする必要があります。その時読解力がある程度必要です。さらに高度に読もうとすれば、複数のスポーツ新聞を読み比べ、情報の比較を行い、自分なりの情報を作り上げる必要があります。またネットのチェックなど、情報を多く入手して、少しでも信憑性の高い情報をより分ける必要があります。こういう時にも国語の勉強が役立ちます。
以上、なぜ勉強をしないといけないのですか、という疑問に対する答えでした。答えになっていませんね。失礼しました。