分野の差異

近ごろ私のブログにパステル姫氏とnamnchichi氏という、自然科学の研究者お二人から言及をいただいた。至らぬ点をご指摘賜り、色々考えさせられ、得るところも大きかった。
論点は多岐にわたるが、追々検討して行くかも知れない(忘れる可能性極大)が、とりあえず私の立場をはっきりさせておくと、私はネットの言論を検討することで、その人個人の言説そのものを考察するつもりはない、ということだ。私にとって言説はあくまで素材であり、私の目標は、その背景にあるネット界、さらには現在の「教養」の有りかたを検討しようと言うのが主たる目標である。だから「そのことはここで言わずに直接言ったほうがいいと思います。間違っているものは教えられないとずっと間違って思い込むままになってしまいますので。」「このような「ブログのレスポンス内容」について誉めるならともかく、お書きになった本人の知らないところでこのように公然と批評するのはいかがなものでしょうか?」というパステル姫氏からのご批判を戴いた時に、一般社会の常識からいえば、その通りとも思ったのであるが、同時に私は見解の相違も感じた。
どういうことかといえば、私はそもそもその記事を書いた「彼・彼女」の議論が教えてあげるべき「間違い」とは思えなかったのだ。私の見解とは明らかにずれている。しかもそのズレの原因は論者の認識不足によるものもあるが、何よりも論者の根本的な思想による所が大きい。だから私が「教えてあげた」としても、論者は反発するだけだろう。「本人の知らないところ」とあるが、私は「本人の知らないところ」だからこそ、素材として扱えるのである。私は「本人の質的向上」を求めるつもりなどかけらもない。なぜならば、私の言っていることが論者よりも上等である保証などどこにもないからである。私の言い分の方が論者よりも筋が通っている、と考えた人がいたとしたら、それは私の意見が正しいからではなく。ものの考え方が論者よりも私に近かった、それだけのことなのである。だから私は「直接言う」というのは自分の思想の押し付けに感じられるので、なるべくならば、その本人の知らないところで批評を行なうのだ。まあどう考えても「卑怯」のそしりは免れないが。ただ不遜な言い方を許していただければ、「一般の人」に対して「プロ」のテキストクリティークという刃を直接向けるのもいかがなものか、とも思われるわけだ。テキストクリティークなんてカッコイイ言葉だが、要するに揚げ足取りだ。しかしこの揚げ足取りが人文科学研究者の唯一の武器でもある。その武器を使いながら現在のネット上の言論を分析することで、私は現代社会の様々な言説の問題点、特に社会の急速な保守化の深層を探ろうと考えているのである。それが人間性に問題があるのは認めるけれども。本人の知らないところでやるのが私なりの精いっぱいの「誠意」と逆に思っていただければ、と思いますm(_ _)m。
namnchichi氏との相違は素人の気楽な情報発信をめぐる見解の相違である。これは難しい問題点をはらんでいるのであるが、私も素人の気楽な情報発信の一員でありこそすれ、それ自体を批判することは毛頭考えていない。それはまさに天に唾する行為である。批判は真っ先に私に返ってくるはずだ。その意味でnamnchichi氏の見解に私も同意する。
問題はそれが一見学術的な装いを凝らしながらでたらめを並べ立て、しかも特定の思想に人々を誘導しようとする行為が行なわれている、しかもその思想が差別・排外思想を煽るものが如き、歴史学の悪用であったとすれば、当該分野に携わるものとして一言するのは私は義務とすら思っている。ただ私はこういうサイトをつぶせ、とか、そういうことをまき散らしているサイト運営者に考えを改めよ、などというつもりはない。それらも私にとっては素材なのだ。だから逆にサイト運営者が突如考えを変えてしまって、私から見て「正しい」サイトになってしまったら、逆に私が困ってしまう。また、私の一方的な、偏向した思想を違う思想の持ち主に強制するような気にはなれない。「プロ」としてその思想的動向がいかなる問題点を孕むのか、ということを喧伝する必要は感じても、その思想を消し去る必要は全く感じていないのみならず、むしろ様々な論が出現することの方が健全だと思うのである。ただこちらは喧伝するためにきつい言い方で「批判」することにはなるが、「否定」するつもりは毛頭ない。
で、私はそこのサイトに自分の意見を書き込むつもりはない。さらに言えば、私はそのサイト運営者にこのブログを見て欲しいとは思わない。見ても不快になるだけで、何等得るところはないだろう。なぜなら、私と「彼・彼女」とは思想が根本的に異なるからだ。根本的に異なる思想を、揚げ足取りをしながら押し付けられるのは、これはこれで迷惑行為だ。だから私は卑怯なのは自覚しているけれども、「本人の知らないところ」でやることが私なりの精いっぱいの「良心」と思っていただければ、と思いますm(_ _)m�